魔都・・、その結界の崩壊

yoko162007-04-13

東京でのオーラハーモニーが終ってから、正直、昨日まで
ほとんど倒れていました。(苦笑)
一旦持ち直したかな? と思ったときに、ブログを更新したきり、
またもやダウンしていました。
病気、というのではなく、エネルギーが流れ出ていっていた感じ・・。


今回、どうしても3月中に東京に行かなくてはならなかった最大の理由、
「東京に風を起こし、流れを呼び込みなさい。」という声にならない、
けれど、とても強い高次元からの要請に従って、東京でのハーモニーを行いました。


どうしても3月中に、というのは指定されていて、私には動かしがたいものだったの
で、都合上は、別の日の方が良いと思いながらも、無理やりの日程で、3月31日に
東京でオーラハーモニーをすることになりました。

いつものオーラハーモニーは、お知らせしてから、だいたい2,3日以内ですぐに
いっぱいになってしまうのですが、今回の東京は、お申し込みが3人に
留まっていました。
こんなに少ない数だったのは初めてで、ある意味びっくりでした。
一体、何があったのかしらと思っていました。


けれど、だからと言って、東京でのオーラハーモニーを
やめる気にはなれませんでした。
なんと言っても、一人でも多くの人の振動数を上げること、が、
今の私の最大の命題ですから、
今の私には、行かないという決定はないのでした。


そして、迎えた当日。
滋賀からもうお一人参加してくださって、計4名のお客様を迎えて、
オーラハーモニーを行いました。


今回のオーラハーモニーは、人が少ない分、濃いものになるだろう事は、
予想がついていました。
そしていつもなら、フォローができないために、そこまではしないけれど、
今回は、可能な限り高く、いらしてくださったお客様の振動数を上げて行こうと
心の中で決めていました。


当日は、確かにかなり濃い内容だったと思います。
それにはじめてご参加くださった方たちも、はじめての体験にもかかわらず、
とても楽しんでくださったようでした。

実際にご自分のオーラを見たり、人のオーラに触ったり、
エネルギーがどのように働くのかも、お見せすることができて、
私的にも満足のいく内容になったと思います。


今回のハーモニーでは特に、目には見えなくても、
私たちの発するエネルギーが、実はとても物理的に私たちの生活に
関与していることを皆さんにお伝えしたかったのです。


そして、当日、それ以上に私にとっては、一番大切なお仕事がありました。
これは先に書いたように、「東京に風を呼び込む」ことでした。


なぜ、これをする事になったのか、は最初から
書かなくてはならないかもしれません。
これから書く内容は、いつもの事ながら突拍子もないものなので
皆さんが信じても信じなくても、私は全く構いません。


ただ書き留めておく必要があると感じたから
書いているだけのことですから・・。
そういいながら、ここに書くことには、まだ
抵抗があるのですが・・。(素直になれー^^;)


さて、話を戻して、私が一体、なぜ東京に風を呼び込むことになったのか、と
言うことなのですが、これはある友人との電話での会話にさかのぼります。


実は、私はずっと東京が苦手でした。
東京に行くといつも、エネルギーがぶちぶちと途切れている感じがあって、
どうしても息苦しい感じになるのを抑え切れなかったのです。

だから、できれば行きたくない、というのが本音でしたので、
正直、最初は「東京でオーラハーモニーをする」ということに
行かないとだめ? という気持ちがありました。


しかも私の中には、そのエネルギーに対するものだけではない
東京に対する苦手意識がありました。
それは、どう考えても、東京に対して公平でない意識のように思われました。
無意識に避けたい気持ちが、私の体のどこかに存在しているのです。

そこで、友人にその話をしてみると、「過去世に原因があるかも知れないね。」
と言われたので、そうか・・、そうなのかもしれない・・・。

そして、東京が苦手になった過去世を見てみようと・・・。
すると、なぜか出てきたのは、義経でした。
私の頭の中は、???が飛び交いました。

義経が私の東京嫌いに何の関係が・・・?
よく分かりません。

ただ、それを思うとふと、想い出したことがありました。
私は、昔から人に出会うと、なぜかその人の過去世が見えてしまう、
という癖を持っていました。
もちろん、私との関わりの中で、ですが。

そして、私の周りにいる人たちは、なぜか皆、平家の人々だったのです。
私の妹や夫、友達やかつての恋人も、果ては上司までなぜか皆、
平家に関わりがあるか、その縁の人ばかり。
子供の頃は、近所に平家の落人の里もありましたし、
自分はなぜこうも平家ゆかりの人に囲まれているのだろう?と不思議でした。


このことが疑問に思えたのは、実は私自身の過去世は源氏に縁の者だった、と
感じていたからに他なりません。(具体的じゃないんですけど。)


私が義経に興味を持ったのは、ある夢を見た時からでした。
私は、その夢の中では小坊主でした。
その夢の中で私は、長い白髭を蓄えた、ひょうきんな
お師匠様にあらゆることを教わっていました。

その人は見かけは、ただの老人ですが、実は仙人のような人物で、
たいそうな力と智慧を持っている人なのでした。

その中で、お師匠様が私に言った言葉で今でも覚えているのが、
エナジーは宇宙から得よ。」
「筆は剣よりも強し。」
という二つの言葉でした。

ひょうきんな人で、「宇宙のエネルギーはお前が取ったくらいでへりゃせん」
とか言っていましたね。(笑)

これは、今では本当に真理だな、と思います。
私のはこの夢でとても大切な事をたくさん教わった気がしました。


で、このお師匠様が何の関係があるのかというと、このお師匠様が
私を「よしつね」と呼んでいたのです。
だから何?と言ってしまえばおしまいな事なんですけどね。(笑)

もう一つ、以前付き合っていた人の過去世が、「静御前」だ・・・!
と思ったことを覚えています。もちろん、今生では男性ですが。

そう考えると、なんだか符号がいっぱい出揃ってくる気がして、
いやーな感じ。


断っておきますが、私は義経でありたかったことなど一度もありません。
日本人の大好きな悲劇キャラだって事は、つまりそれだけ大変な人生
だったって証拠なんですから。
私はもっと平凡で幸せな人生の方がいいです。(笑)


これはともかく、重要なのは、なぜこの事を想い出したのか、です。

平家と東京、と考えていて、ふと出てきた言葉。


「魔都」。


その言葉が出てきた途端、思い出したのが、「帝都物語」でした。
そこに確か、魔都、東京の結界を張っている人物がでてきたよね、
誰だっけ・・・。
「平の・・・・まさかど?」


そここまで考えてなんだか無性に眠気が襲ってきたので、
思わず昼寝してしまいました。

すると夢の中で、黒いすすのような壁に覆われた東京が見えました。
東京は、この壁に守られているがゆえに、魔都たりえているのでした。

そしてその壁のお陰で繁栄を保っているのと同時に、様々な諸悪の根源で
あるものも、同時に引き寄せていて、諸刃の剣のような役割を その壁は
担っているのでした。

そして、私は目覚めた瞬間、この結界は消滅する必要がある、と
感じました。
頭ではなく、魂のどこかで。

「でも、そんなこと、誰がするの?
肉体を持つ人間がそんなことしたら、命がないわ。
いやいや、私はまだ死にたくない。(^^;)
誰か他の人に頼んでね。」
などと心の中で思わず祈ってしまいました。(笑)

とか何とか思っていても、
こういうものは、「気づいたものがやる」と決まっているのです。


え?そんなの誰が決めたかって?


うーん、言葉で説明するのは難しいけれど、
強いて言えば、自分・・、でしょうか。

人間の感覚でこれを説明すると、個人の私が決定したわけでは
もちろんありません。
遥か彼方の高い存在が決めた、と言ってみたいのは
山々ですが、実際は、もっと深いところにある私たち自身の集合意識が
それを決めた、というべきでしょうか。
つまり、それは最終的に私であり、あなた、だということなのです。


魂のステージは上がれば上がるほど、喜びが深く強くなるけれど、
その分、道は狭く取るべき選択の余地は少なくなるものです。

なぜなら、「選択の余地」や「選択の自由」というのは、
肉体レベルの私たちに許されているものであり、
それは人間にとっては完全な権利だけれど、魂にとっては、
全くの幻想に過ぎません。

なぜなら、奥底ではつながった「自分」が決めた事だと知っているから。
人は一つだから。(^^)


と、いうわけで、結局私は東京に張られている結界を
解くことに・・。


それだけのことをやるのなら、ちょっと準備しなくちゃ。
だから、明日かあさってくらいに、時を選んで・・・。
とか思っていたのですが、人間の浅はかな考えなんて、
意味がないと何度知らされたことか・・・。


その晩、友人と電話でその話をしていると・・・・、
唐突に「それ」は始まってしまいました。
急に地震が来たっと思ったら、部屋のものはゆれてない。
うーん、これは始まったのね・・・、と悟りました。

そして、いきなり現れたのは、ものすごい形相のざんばら髪をたれた
自分の頭を脇に抱えた、血まみれの平将門の姿がありました。

「ひえーっ」(誰か夢だと言ってー。)

でも、昼からずっと、私は彼と対決してはいけないことには気づいていました。
何しろ強い怨念を抱えたままの彼に、私の意識は対抗しようがないからです。
戦うことなど余儀なくされたら、間違いなく、命はありません。
これは大げさな表現でも何でもなく、単なる事実です。
彼に昇華してもらうしか、手はないのです。

でも、その時点では、私はまだ自分がどうすれば、彼が光に変われる手伝いが
できるのか全くわかっていませんでした。
おまけにいきなり心の準備もろくにないまま、それが現れたので、
私はパニック寸前でした。


とにかく落ち着かなくてはなりません。
とか言っても、その恐ろしい姿が目の前にあって、落ち着くなんて至難の業です。
何しろ、目で見ているわけではないので、目を瞑っても見えてしまう。
これが痛いところです。

でも、心を落ち着ける、必死に落ち着けようと努力しました。
しかも時間はありません。
結界は張ってみたものの、攻撃に出られたらおしまいです。


なんとかいい方法は・・・?
ぐるぐる頭の中をいろいろな考えが駆け巡ります。
いつもなら、ここで様々な存在に助けてもらえるのですが、
(もちろん、この時もすっかりそのつもりでした。)
この時は、「私が一人でやらなければならない」という感じが
ひしひしとしていました。

明らかに、いつもの助けがないのです。

どうすればいいの!?

と心の中で叫んだ途端、一つだけ方法を思いつきました。
彼が恨みや憎しみ、怒りに満ちているなら、それを変換するには、
「愛」しかない。

そうか、私自身が「愛」になればいいんだ!!

とは言っても、一体どうやればいいのでしょう???


そこで、私は以前、天使が教えてくれた波の話を思い出しました。
そして愛の波形を思い描いたことを想い出し、その波形そのものになればいい、
と思いついたのです。


「愛」は、緩やかで美しい流れ。
誰をも遮ることなく、ただ続いていく。
悠久の流れのように。

それと一つになる事を意識し、波を自分の中に思い描きました。
できるだけ、ありありと。

霊の世界ではイメージは、現実です。
私は、その時「愛になること」に何とか成功したようです。


その愛に触れると、目の前で、平 将門は姿を変えていきました。
次第にその姿を変容させて、怒りに満ちた恨み深い顔ではなくなり、
きちんとした一人の武将の姿へと変貌していきました。

最後には、彼の姿は美しいと言えるほど、立派な一人の武将として
そこに立っていました。

すると、そこに一人の女神(?)が現れました。
普通、(私が知っている限りでは)魂が元いた場所へ還る時には、
たいていその家族や親しい人が迎えに来ます。

けれど、将門を迎えに来たのは、どう見ても、ただの人ではなく、
白い柔らかそうな髪と柔らかな表情をたたえたそれは美しい女性でした。
でも、私の知っている神々ともなにか違っていた・・・。
地球にいる様々な神々と呼ばれるお一人ではなかったように思います。
宇宙の存在・・・、私は頭のどこかでそう思っていました。

その女性に抱かれるようにして、将門は旅立って行きました。


その瞬間、私は思わず、体の底から力が抜けそうになりましたが、
彼の造った東京の結界が、崩れはじめているのを見てはっとしました。

結界は、それこそ、まるで煤のように、飛び散り始めていました。
それは、真っ黒な姿と同じにそうしたエネルギーそのもの、妖しのものたちを
惹きつけるものです。

そんなものが世界中に飛び散ったら、大変。
おまけにその結界の中で守られぬくぬくとしてきていた、小さな魔物や
霊魂などがうようよしています。

そのまま放っておいたら、大変なことに。
そこで、意識をそこに集中させ、光に還ることができるものは、
光に還し、どうしても浄化できないものは、地下のあるべき場所に
強制的に帰ってもらうことに。

イメージの力を使って光を集め、東京の黒々としている部分に注ぎ込みます。

光に還ったものたちは、まるで蛍のように小さな光を発しながら、
空へと昇っていきましたが、残りは地下世界の自分たちの帰るべき場所へと
すごい勢いで、吸い込まれていきました。

実は、これだけのことを友人と電話をつないだまま、行っていました。
彼女もまた、私と同じ仕事をする仲間だったので。

彼女は、この時のことを地面がぱかっと割れて、その中に
黒い者達が吸い込まれていくのを見た、と言っていました。

そして、その後の東京には、喇叭が吹き鳴らされて、
女神が現れ、緑の野に変えて行ったと・・・。
もちろん、これはすべて、エネルギーの世界で起こったこと。
現実の東京が、緑の野に変わったわけではないのです。


ただ、東京の浄化は一旦この時点で終了しました。
けれど、このままでは、いけないことも知っていました。
なぜなら、結界は魔を引き寄せるものであると同時に、
その土地を守るもの、でもあったからです。

東京は、新しい世界では、これから世界の中心となるべき都市です。
(これは私の考えではないことは断っておきます。)
ここは、世界の要となるはずなのです。
だから、大きく変わらなければならない。

愛から発信し、愛に還る必要があるのです。

そして、それをなすことができるのは、私たち自身なのです。

今回のことで私は、少しだけ「愛そのものになる」ということがどういうことか、
理解したような気がします。

「愛」になっている間は、不思議と色々考えることはしませんでした。
なんだか、とても優しくいい感じで、至福感がありました。
柔らかく、暖かいプールに浮かんでいるような感じです。


本当はあの感覚をいつまでも覚えていて、その状態になれればいいのでしょうが、
人間というのは本当にしょうがない。
喉元過ぎればすぐ忘れるのです。つまり大部分は忘れてしまいました。(笑)

さて、その晩やっと仕事を終えた私は眠りにつきましたが、
不思議とそれだけのことをやった割には、あまり疲れることがありませんでした。
で、意外と大丈夫だったのね、なんて思っていました。

ところが、まぁ、やっぱり世の中そんなに甘くないものですね。(笑)
その後の、ハーモニーで行った、東京に風を起こし、流れを呼び込む、
というエネルギー的行為は、自宅に帰ったとたんに、どっとそれまでの疲れが
押し寄せてきて、一週間ほど丸々、ふらふらしていました。

東京でのオーラハーモニーは、人間的に楽しかったのですが、
それ以上に、この時行った事は、何倍も重要だったと感じています。
もっとも、そういいながらも今の私には、ただやるべきことをやった、
というだけで、詳細には何が行われたのかは、まだわかっていません。


この時のハーモニーでは、いらしてくださった方全員の振動数を
かなりなレベルまで引き上げました。
お一人お一人のエネルギーに合わせて、オーラハーモニーを
歌い、その光でいっぱいになるように調整していきました。

それは、実はこの後のお仕事を皆さんに手伝っていただく
予定だったからでした。

そして、お一人お一人のオーラを調整して、やってきたエネルギーはとても
興味深いもので、メロディもやって来る光もすべてが全く違いながら、
やはりともにいる人たちには、何らかの共通点がある・・。
今回集まってくださった方たちは、プレアデス星団の一つから共に
地球へやってきた人たちだということが、わかりました。

ハーモニーを奏でながら、やってきたビジョンは、とても美しいものでした。
いつもオーラハーモニーを歌う時は、私に喜びをもたらせてくれます。

全員の調整が済んだ後、その日なすべきもっとも重要な事を皆さんに
手伝っていただこうと思いました。
光につながって光を集める・・・。
これは、イメージさえできれば誰にでもできることです。


私は、皆さんに声を掛け、私へ光を送ってくれるように頼みました。
その間、皆さんは何が起こったかわからなかったようでしたが、
全員何らかのトランス状態になっていました。

私もまた、一緒に光をできる限り収束して集め、風が起きるように
意識を向けました。
しばらくすると、強いエネルギーがぐるぐる回り始めるのを感じました。
竜巻のような、強いエネルギーです。

東京に風を起こすように意識していたはずなのに、
私が見たものは、なぜか金色の龍でした。
金色の龍は、以前にも見かけたことがありましたが、
私が思うに、あれは日本を象徴するものです。

金色の龍は、うっそりと横たわっており、大きな目を開けて
こちらを見ていました。

そして、同時に別の視点(ヴィジョン)が私の前に展開されていました。
ものすごい数の龍たちが、まるで川を昇る鮭のように、
押し合いへし合いしながら、地球をぐるぐるとすごい勢いで回っているのです!


後でその話をすると、ある人が「それは地球の振動数を上げようとしていたのかも」
と言っていました。
ああ、そういう見方もできるな・・・、と思いましたが、私には正直、
まだ何が起きたのかは、よくわかっていません。
それから、「これでいい」というような了解にも似た空気が私を包み込んで
無事終了したのだと分かりました。


実のところ、その場では私にも分からないことがたくさんあります。
人はよく何もかも分かっているように、私の事を勘違いしていますが、
私にも分かることは限定されていて、今の私の頭で理解できることなら、
いくらでも答えを知る事ができますが、こういった神の計画の一部は、
いつも後にならないとその真実の意味が見えてこないのです。

ずっと後になって、いつも「ああ、あれはそういうことだったのか」と
納得することがしばしばあるのです。


感覚の鋭い人は、東京のエネルギーの変化に
気がついているかもしれません。

知っておいていただきたいのは、「わたし」が何かをしたのではなく、
皆さんの中にある「集合意識の中の一つ」が事を成したのです。

つまり、すべての人がこれを行っているのです。

今回のご報告はこれまで。
はぁ、長くて疲れた・・・。(^^;)

それでは、また・・・・。


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光と共に歩む

yoko162007-04-04

アセンションという、自分でも認めてはいなかった言葉を
使い始めて、数ヶ月。
私の周りで何かが変わって行きました。


離れて行く人、また惹かれてくる人・・。
不思議なことに、私の人間的な意識の中では現実からは
かけ離れていると感じていた
言葉をたくさん使いはじめてから出会った人々は、
逆に意識がとても高くて、初めから振動数が高いことに
驚くばかりです。


以前はそうした、目に見えないことを人々に伝えることは、
自分にとって大きな危険を伴うという強い恐れを持っていました。
これは子供の頃から、そうした能力を人に知られる時、
過剰な期待と怖れを相手に抱かせることを知っていたからであり、
私から見れば、意味もない強い反応をする人たちをたくさん見てきたために、
そうした人々をひきつけたくない、という強い思いがあったのです。


ところが今、私が少しずつ、自分の事を語りはじめてからというもの、
やって来る方々は、なぜか私を理解してくださる方ばかりでした。


これもまた、私の振動数が変わったから、という理由なのでしょう。
以前の私は明らかに今よりもずっと振動数は低く、エネルギーの純度も
低かったために、そうした意識を引き寄せていたのだと今では感じます。

そして、そういう私自身の意識こそが低かったのだと。


私が人の中に見る怖れや、不安や期待や、強い感情は、まさしく自分の中に
あったのだとやっと理解できるようになりました。
そのことを長いこと、自分の口から言ってきたにもかかわらず、
自分自身は、それを本当の意味で理解していなかったのだと理解したのです。


理解は、自分の進度に従って深くなっていくものなのだと、
最近になって分かるようになりました。
その時はその時の意識でもって理解していたのです。
けれど、自分が学べば、それは理解とすら呼べるものではなかったと
今は思えるのです。
ただ、それがいけないのではなく、その時はその時の進度でもって
精一杯私なりの理解をしていたのです。


理解とは、なんと奥が深いものなのかと、改めて思います。


心の奥に在るものをどのように投げかけて、変化して行くのか、
人生とは、とても貴重で面白いものだと近ごろつくづく思うのです。


以前、ある人のセミナーを受けて、その後の気づきによって、
一時私は自分自身を見失いそうになりました。
自分自身というものが、実は、幻想に過ぎないと心底気づいた時、
私は自分の足場を失った気がしました。
奈落の底に突き落とされ、私が今までこの世界で学んだことはなんだったのかと
自分の目の前が真っ暗になったことを覚えています。


地獄の底に突き落とされたような思い。
それは、単なる自分の中での出来事でしかなかったのですが、
それは私に大きな変化を与えました。

「人は人であって、人ではない。」
「私たちは、バラバラに存在していながら一つである。」

以前は、概念として自分の中に在るに過ぎなかったものの正体を
目の当たりにした時、私は衝撃で立っていることさえままなりませんでした。



この感覚を言葉で伝えることは、私にはできそうもありません。
どんな言葉で伝えたとしても、私の感覚は私にしかないものであり、
人にはその人の持つ感覚でしか捕らえることができないものだから。


今では、新しい自分のこの概念を言葉で伝えようと空しい努力を続ける気は
なくなりました。
本当に必要ならば、その人が自分の意識で理解するはず。
その人の自身の学びによって、それを得るはず、と思うからです。

だから、私はただ、私に起きた出来事を綴っていこうと思うように
なったのです。
とはいえ、まだまだ自分の中に大きな躊躇があるのは否めません。


一旦は奈落の底をのぞいたとしても、所詮私はまだ人として生きているのであり、
食事もし、眠りもするのです。
ただ一つ分かっているは、私は、これまで自分が思っていたような存在ではなかった、
ということだけ。


長いこと、自分が何をすればいいのか分からず、彷徨っていた事を考えると、
今は少なくとも、それだけは理解しているのです。


そして、神の計画の一部なりと自分は感じる事ができるという確信も。
高次元からの伝言は、いつも巨大な計画のほんの小さなピースに過ぎません。
それを一つずつ、伝えてきます。



時々、私はその計画の全貌を知りたくて、イライラすることがあります。
何しろ、私に伝えられるのは、一つのプロジェクトのごく一部分でしかないので、
その時の私が知りうるのは、ごくごく一部分に過ぎないからです。


その時の私には、その伝言の理由が何一つ見えていません。
私は、ただそのメッセージにしたがって、一つの駒になっているにすぎないのです。
それが私を無性にじれったくさせるのです。


けれど、その後もピースは一つずつ送られてきます。
そのプロジェクトの青写真たるものは、その時点では私には全く分かっていません。
ただ、私は王国の一人の兵士のように、命じられたままを動くだけなのです。
(もちろん、厳密に言えば誰も私に命じることなどできないのですが)


そして。


いくつものピースがある日、唐突につながる日が来ます。
それは本当に唐突に、自分が楽しみのために行っていた事でさえ、
その計画の一部だったなどということが、後になって判明するのです。
どのピースも大きなパズルの大切な一つであったことを、その時になって
やっと理解するのです。


そしてなぜ、それらのことを先に私に教えられなかったのかも、その時点で
私は理解します。あまりに大きな計画の一部であるそれらは、もし初めから
それを知らされていたなら、人間の私はあまりの内容の大きさに、
おそらく仕事を放棄してしまうでしょう。


多分、私よりも遥かに大きな存在であるそうした存在は、
それを熟知しているのだと思います。
だからこそ、そのすべてを最初から私に知らせる事はせず、
一つ一つのピースだけを私に寄越すのです。
そんな時「本当に神様はいるなぁ」といつも関心させられてしまいます。


だからこそ、私は自分の所にやって来るメッセージが何であれ、
私が中心にいさえすれば、120パーセントの確信を持って信頼し、
それに従うと決めているのです。


そうでなければ、ある日唐突に「どこどこへ行け」などという言葉に
従えるはずがないのですから。(笑)


一番不思議なのは、私が受け取るそうした言葉にたくさんの人が
一緒に来てくださることです。
もっと不思議なのは、どうみても「来るな」と言っているような内容であれば
あるほど、人の集まりが早いこと。(笑)
何人もの人があの内容では行きにくいよね、と言いつつ、来られること。


それはきっと、皆さんが心の底で私がつながるものが何かを
どこかで知っているからだろうと思っています。

頭では理解できなくとも、私たちはすべて奥底でつながっているのですから。


だから、私はこれから先も、魂の声が私をどこに導こうともついて行こうと
決意しています。


それが私にとって、「光と共に歩む」
ということかな・・・と思っています。



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アトランティスの記憶

yoko162007-03-22

エンリケバリオス氏の書いた『まほう色の瞳』という本を
読み直していました。


以前、あの本を手に取ったのは、「アミ小さな宇宙人」を
読んだから同じ作者の人の作品に興味があったこと・・・、と
もう一つは、私が物心ついた時から、心惹かれてやまない
アトランティス』について書かれていたからでした。


もちろん、作者は単なる想像で書いたのかもしれません。
または、何かに突き動かされて書いたのかもしれません。
私のように何かを受け取って書いていたのかもしれません。


その本を読み始めた途端、私の身体は痺れて、それをただの物語だと
思うことはできなくなりました。
私には、その物語がどんな方向に展開していくのか、読む前に
分かっていました。


なぜなら、私の古い記憶、私の過去世での記憶がそれと似た展開を
『知っていた』からでした。
この物語の中で、大陸アトランティスは、「偉大なる跳躍」
を果たすことができず、(つまり、アセンションすることが叶わず)
惨めに失敗し、海に沈んだのです。


それは私にとって『物語』ではなく、かつて現実に起こったことでした。
この物語の冒頭で語られる、アトランティスについての記述は表現こそ違え、
私の知る限り本当のことでした。(表面的な事柄ではない)


小さい時から何度となく見ていた津波の夢・・・。
けれど私は、その津波に飲まれることはできなかった・・・。
なぜなら私はその時代、アトランティスで重要な長老の位置にあり、
私には、アトランティスに残された智慧を、後世に残す役割があったから・・・。


私は、その時も今と同じ、人類の進化を促すための仕事に従事していました。
けれど、後もう一歩のところで果たせなかった・・・。
この星の人々が揃って、新しい世界に踏み出していくこと・・・、
それがその時の私の願いであり、使命でした。


光を集め、世界に放つ・・・。
それが本当の意味でできたなら、あの時、世界は変わるはずでした。
けれど、その時、結局人の心の中にある闇の力に負けてしまった・・・。
闇とは、欲のことです。欲求ではなく、不毛なほど拡大した欲望・・・、
それに私たちは勝てなかった。


失敗したと悟った時の、あの時の人としての悲しみは例えようがありません。
けれど、もう一人の私はそれでも知っていました。
また、同じような時が遥かな時を経て、巡ってくることを。


そして、その時の出来事を魂に刻みました。
その時のことを決して忘れてはならないと。
それは、遠い時間と空間を経て、必ず今一度起きる事なのだから。

あのときのことは繰り返してはならない。
そう、強く想い出すのです。


そのときのことを思い出すと、私は今でも泣きたくなってきてしまいます。
でももう一人の私は、未熟な私たちが学ぶために、この遥かな時を
越えてきたのだということも分かっています。
そして、この言葉がこの世界の理にしか耳を貸さない人たちにどんなに荒唐無稽に
聞こえるのかも。


以前の私なら、そちらの声を気にして、決してこんなことを書かなかったでしょう。
自分自身の理性という名の愚かしさに耳を貸して。


けれど、今の私は、本当のことだけを書くべきだと言う気がしています。
近しい友人にしか話さなかったことをここに少しずつ書いていこうと
思います。
おそらく、このブログを読みに来てくださっている方の中には、
私の言っていることが事実で在る事を『知っている人、覚えている人』
がいるかもしれません。
あの当時に生きていて、もう一度この時代に生まれ変わっている人は
相当数いるはずですから。


そう、私たちはこの星と共に、振動数を上げて、変化する時期に
来ています。
私たちが、肉体的にただ動くだけでは、もう限界です。


私たちがこれからやっていくのは、自分の魂の存在に気づき、
自ら大きく変化していくことを許すこと。


私は、かつてあの時代には、本当はとても力を持った立場にいました。
それなのになし得なかった事を、今この時代に、何の力も持たないただの主婦として
ここに存在して、一体何ができるのか、と思わないと言ったら、
嘘になります。
このような大変な時期に、どのように人々の心に訴えかければいいのか、
そしてどうすれば、人が本当の自分に気づいてくれるのか、全くの手探りの
状態で、時々立ち尽くしたくなることもあります。

おまけにこんなことを書いてしまったから、普通に付き合っていたはずの人も、
これを読んだら引いていくだろう事も目に見えたりしますし・・。(苦笑)


けれど、一番大切なのは、ここに書いている表面の部分ではない、
ということなのです。
表層的な意識で読めば、ここから何一つ、本当のことを持っていくことは
できないでしょう。


言ってしまえば、アトランティスも長老もどうでもいいのです。
私が言いたいのは、今、その時と同じ危機に明らかに私たちがいるということ。
そして、同時に今こそ、新しい世界に飛躍するための大きなチャンスが
私たちの目の前にあるのです。


その大いなる変化、大規模な意識変革は、誰が意識しようとしまいと、
この地球に生きている以上、誰一人として逃れることはできません。
どこかの国の王様であろうと、飢えて死にかけている人であろうと、
同じなのです。
そういう意味で、私たちは等しく同じ権利が与えられているのです。


振動数を上げることは、私たちの心と身体の意識を変え、無事に
新しい世界に移行することでもあります。


振動数が上がることは、エネルギーが繊細に細やかになっていくこと・・。
怒りや嫉妬や憎しみでさえ、繊細なエネルギーに変わった時には、
その表現を大きく変えていきます。


怒りを暴力で表現している時、その人の振動数は低いのです。
感情が在るのは、人としての特権です。
それを手放す必要はないのです。


ただ、私たちのエネルギーが荒ければ、犯罪が減少する事はなく、
また、それに巻き込まれることも増えて行きます。


それとは、逆に振動数が十分に高ければ、事故に遭ってもかすり傷ですんだり、
運が良いと感じられることが連続して起こります。


振動数を上げることは、心地よい人生をきること。
それがあなたとあなたの家族を守り、あなたの人生を
輝くものにするのです。


もう一度、かつての悲劇を繰り返すのではなく、
新しい美しい世界を掴み取りませんか?

どうぞ、ご自身の振動数を上げてください。
それは、決して難しいことではありません。


あなたの家族と笑顔で挨拶を交わし、抱きしめれば
よいのです。
あなたの大切な家族を大切にすることは、あなた自身を大切にすること。


それが何より、大事なのだと心に留めて置いてください。



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まほう色の瞳

まほう色の瞳

オーラを体験するってこういうこと。

yoko162007-03-20

昨日、滋賀での『体感!オーラハーモニー』が終了しました。
まだ、東京が残っているのですが、一つ終了したので、ちょっと
ほっとしています。(^^)


もっとも、今回のオーラハーモニーは、本当に楽しくて、
講師のはずの私が楽しんでしまいました。(笑)

毎回、参加される方によって、会場の雰囲気も内容もがらりと
様変わりするのですが、新しく参加された方がとても多かった割には、
その違和感がまるでなく、とても居心地のよい空気の中でセミナーを
開催することで来ました。
参加してくださった方々、本当にありがとうございました。


さて、毎回内容が大いに変化するのが、得意(???)な私のセミナーですが、
今回は、キネシオロジー初心者の方も多く、まずは、基本のキを覚えていただくこと
に午前中は、集中していただきました。
これをマスターすれば、たいていのことなら、自分が知りたい事を
知る事ができます。(もちろん万能ではないですけど。)

このとことん基本的な事も、見るとやるとでは大違い、というわけで、
徹底的にマスターしていただくことに。
なぜかといえば、たいてい、この基本ができていないので、
セミナー中はできても、帰るとその結果はあやふやになりがちだからです。


午後からは、お待ちかねの『オーラハーモニー』。
これを聞いていただく前に、参加された方全員に
ご自分の振動数を測っていただきました。(キネシオロジーを使うと、
たいていのものが測れます。)
具体的な数値に当てはめて、今、自分がどの位置に在るのかを
確認していただくためです。

その数値は、それぞれ、意味を持っており、その意味に従って、
今自分がどのような状態に在るのかを知っていただきたい、
というのが目的でした。
また、実際にオーラハーモニーを聞いていただいて、
どの程度、身体や心、また振動数の数値が変化するのかを
実感していただきたかったのです。


身体を柔軟にし、頭ではなく、心で感じ取ること、
これは何より「皮膚感覚」を大切にして欲しい、ということで
実際にその場で聞いていただきました。


今回のオーラハーモニーは、いつにも増して力強く、
高いところからやってきている感じでした。
宇宙エネルギーが直接私の身体を通して、皆さんのところへ届く・・・、
そんな感じです。


オーラハーモニー終了後に、参加者の方から、他の人の感想を聞きたい、
と言うご要望があり、皆さんに感想をお聞きすることに。
すると、こんな感想をいただきました。

「午後から頭痛がしていたのですが、オーラハーモニーを聞いたら
頭痛がなくなりました。」

「とても気持ちよくて眠くなりました。」

「身体が振動しているのを感じました。」

「なぜか分からないけれど、涙が出ました。」

「右手がじーんとしびれる感じがしました。」

「目を瞑っていると人の声には聞こえなくて、
光が降ってくるような感じがしました。」

「光は見えなかったけれど、身体の下からどーんと
突き上げるようなエネルギーを感じました。」

などなど、たくさんの感想をいただきました。
本当にありがとうございます。

私が何より驚いたのは、参加した全員の方が何らかの
エネルギーを受け取り、身体で感じて下さっていたことでした。
素直でいること・・、たったこれだけのことがこれほど、
光の恩恵を受けるのか、と目の当たりにした気がしました。


そういう意味でも、今回のセミナーは、
滞りなくエネルギーが流れていたと思います。


その後もう一度、皆さんにご自分の振動数を測っていただきました。
そして、もちろん皆さん例外なく、振動数は、ハーモニーを
聞いていただく前よりも、かなり上昇していました。


振動数が上がると、一気に会場のエネルギーもあがりますので、
すっかり会場は暑くなっていました。
当日は、今年にしては珍しく雪が降ってとても寒かったのですが、
時間が経つごとに、暑くなって、ドアを開けずには
いられないくらいでした。(笑)

参加されている方は気づかなかったと思いますが、
あの暑さは実は空調だけのせいではなく、皆さんのエネルギーが
どんどん解放されていたところから来るものでした。


午後からの内容は本当に盛りだくさんだったかな、と思います。

参加者の方々のオーラの色を調べたり、実際に、どこまで、個人のオーラが
拡がっているのかを確認していただいたり、エネルギーがどのように
動き、どのようかかわるのかを、体験していただくのは、
やっている私もエキサイティングでした。
実感していただく、ということがこれほど面白いと感じていただけることに、
私自身が楽しくなりました。(^^)

特にご自分のオーラが何色かは、やはり皆さん気になる様子でしたね。(笑)
自分のオーラが何色かを知る事は、やはり楽しいイベントになるんですね。


参加した方々には、人のオーラの境目に触れていただいて、そこに温度差を感じたり、
オーラに圧力があって弾力があるのを知って、びっくりしたりしていました。

今回のハーモニーは、実体験を通して、目に見えないことを
身体で理解していただくこと、
そして、振動数を高めていただき、人生を生きやすくすること。

そういう意味で、今回のセミナーでの
私の目的は達成できたと思っています。

ともあれ、私自身が楽しめて、参加してくださった皆さんが楽しんで
下さったこと。
これが何より、一番の私自身への贈り物でした。
有難うございました。


そうそう、参加してくださった皆さんの感想をいくつか、
書かせてくださいね。

『見えないものが実体験できて、自分に自信がもてました。』

『色々な物を区別する方法が分かってよかった。今まで知らなかった
自分のことがわかった。』

『盛りだくさんでした。皆さんと楽しく過ごすことができてよかったです。』

『具体的に身体を使って、その反応を楽しめて分かりやすかったと思います。
特にご自分の所持品が合う、合わないには、
皆様リラックスして穏やかな時間が流れたと思います。』

『身体中が喜んでいるような振動しているような感覚があり、楽しかったです。
有難うございます。」
「実際にたくさん自分たちで体験できたこと、分かりやすい説明、オーラハーモニー
がとても感動しました。』

『何か思っていることはあるのですが、首から上の意識がまとまりません。
でも今日のセミナーは楽しかったです。』

『自分の状態を教えてもらえたこと、意識というエネルギーの強さが分かった』

『はじめての参加で当日までわくわくしてました。
今はまだ少し緊張しているので、帰宅してから感想がたくさん出てくると思います。
オーラを実感したり、自分の身体を客観的に今までと違った方法で知る事に
新しい考え方というか、知り方というか、今後の自分にすごくいいことを知ったよう
に思います。ありがとうございました。』


色々な感想をいただきました。
ありがとうございました。
楽しんで、振動数が上がる、これが一番ですね!

次回は、東京です。
今度はどんな感じになるのか、楽しみです。(*^-^*)


まだ東京会場は、『体感!オーラハーモニー&キネシオロジーセミナーの
参加者を受付しています。
ご興味を持たれた方は、一度体験しにいらしてみてください。

http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/event.htm
こちらをご覧下さい。

私が主催するエンジェルサポートのサイトはこちら
http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/


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集団の意識

yoko162007-03-12

この集団の意識を認識することがこの先の、
地球のレベル変革の第一歩だそうです。



そういえば、そのことについて考えると、
昔からいつも謎に思っていたことがありました。


一人一人は、たいてい善良なのに、集団になると
突然パニックを起こしたり、暴力的になったりするのは
なぜなのだろう・・・、と。


戦争を引き起こす意識も、ネットで悪意の応酬をするのも、
結局基本は、集団意識になった時点で、意識が下がって
しまうからではないかしら?


そう思うと集団意識っていうのは、これは大きな曲者だな、と
思いますね。
一人一人の意識よりも、集団になると意識が下がるのは、
一体なぜなのでしょう?


その答えは、「集団になったとき、意識エネルギーは平均化され
平均値によほど高いものがいない限り、低いものにひきずられる」
との事。


なるほど・・・。


つまり私たちの意識レベルはまだ、それほど高くないというわけ・・、
なのですね。

この集団意識、これを変容させるためには、私たち一人一人の
意識の高さが求められているというわけです。


意識の高さという言葉なら、近頃よく耳にする言葉ではないでしょうか?


「意識を高く持つこと」は、生活の様々な分野に渡っています。


例えば、人前での禁煙もそう、運転する時の禁酒もそう、
成人式で暴れない事だってそう。
暴飲暴食をしない事だってそう。人を思い遣ることもそう。
環境のために節約を心がけることもそう。
人の悪口を言わないこともそう。
まだまだたくさんありますが、書ききれません。


さて、こう考えてみると、『意識を高く持つこと』って、
ものすごく「当たり前」なことだと思いませんか?


でもね、どんなすごいことを成し遂げた人の本を読んでも、
いつも書いてあるのは、しごく「当たり前のなこと」ばかりなのです。


つまり、その「当たり前な事」がいかに難しいかの証明みたいなものですね。
当たり前に思う事って、みんなが知っているから、歯牙にもかけなかったりする。
だから、逆に、そのことが大切だと気づかないんです。


成功法則でも、当たり前のことを当たり前に実行した人が成功するそうです。
当たり前のこと、でも気がついたこと、ちょっとこれから実行してみませんか?


話は変わりますが、世界の国々の意識について、少し話したいなと思います。

この強烈な温暖化の最中、個々の国が争っていては、
この地球に未来はないというのに、どの国もまるでそんな事実がないかの
ように、傍若無人に振舞っています。


アメリカ元副大統領のアル・ゴア氏が最近『不都合な真実』という
ドキュメント映画を発表しましたね。
そう今の世界の政治家達にとって、このままでは地球が10年くらいしか持たない、
なんて事実は、不都合以外の何ものでもないでしょう。


何しろ、そんなことを発表して、
「世界中の人々がパニックに陥ったらどうするんだ」
なんて、悠長なことを言っています。
放っておけば10年経たないうちに、温暖化とその影響によって
死滅する動植物と死者は激増するでしょう。


別にこれは脅しでも、ましてや皆さんの心に意味のない不安を
かきたてようとしているわけではありません。
単なる事実であり、また、その事実に目を瞑って生きるには、
余りにも、事態はひっ迫していることをお伝えしたいのです。


そして、私たち自身が自分のできる事を、少しずつでも
やっていくことが、国家が動くのを待つよりも遥かに
有意義で早い結果を生む事ができるのです。


温暖化の大きな原因とされている二酸化炭素の排出量は、
企業や工場が出すものよりも、私たちの家庭から出るものの方が、
遥かに多いこと、ご存知ですか?


つまり、私たち民間人にこそ、この世界を救うチャンスが
ある、というわけなのです。


「地球を救う」なんて大きな事を言うと、それだけで怖れをなす人も
たくさんいらっしゃるでしょうが(私自身、そんなこと言われたら引くかも知れません。^^;)
早い話、今の生活をこのまま続けたかったら、節約しましょう。
ということなのです。


さて、「不都合な真実」の公式HPの中に、
一人一人ができる二酸化炭素削減の方法が書いてあります。
http://futsugou.jp/takeaction/index.html

私たち、一人一人がこんな事を実行するだけで、
この地球に大きな変化が生まれます。
実際、地球温暖化の元になっている二酸化炭素は、
私たち家庭から出るものが、大変多いのです。
エコライフは、地球サポートライフです。


私たち、家庭から集団の意識を高くしていきましょう。



節約することは、お金をかけずに人生を楽しむだけでなく、
私たちの身体にも心にも、ひいては地球環境にも優しい結果を生むのです。


話は変わりますが、あの産業革命以来、
世界は、恐ろしいほど急速な発展を遂げてきました。
けれど発展を遂げたのは、技術と物質の面が主で、私たちの大切な学びであるはずの
心の学びの部分は置いていかれたままです。


心が置いてきぼりを食らったのは、結局、物質至上主義が世界にはびこったからに
他なりません。
科学が発展することがいけないのではなく、そこに心が伴っていないことが
問題の根底にあるのです。


私たち人間はロボットではありません。
心も魂も持っている、一つの存在として、ここに在るのです。
にもかかわらず、科学力の発展は、人々の目に物質として映らない『心』を
置き去りにしてきました。
そして21世紀の今、心が忘れられて進んできたこの世界のひずみは、
あちこちに出てきて、ほころびをあらわにしています。


日本でも、モラルの低下は深刻な問題です。
気づくと気づかないとにかかわらず、モラルが低下したために、
これまで当然と思われていたこと・・・、
他人に迷惑をかけない、人には親切にするものだ、人に挨拶をする、
などという、普通の行為から、人のものを取ってはいけない、
人を殺してはいけない、という当たり前、以前の意識まで、
崩れてきているのを感じませんか?


そもそもそうでなければ、『なぜ人を殺してはいけないのか?』
なんていう愚問を投げかける人が出てくるでしょうか?


これらのモラルの低下は、私たちの人間の意識が、
物質世界に偏ってしまったことから発生しています。


たくさんの人々が「私たちは魂である」という基本を
知らずに育ったことの証です。
もちろん、この言葉に同意できない人がたくさんいるでしょう。


ただ、このブログをずっとご覧下さっている方々は、
私の語りかけをご理解いただけると信じています。
そうでなければ、これを読み続ける事などできないでしょうから。


実のところ、このブログを始めた最大の理由、それはこの
『人は魂である』という概念を、身に付けていただきたかったからです。
私たちは、学校でこの事を学ぶことはできません。
学校は、物質面をカバーするものであり、魂の部分については、
今の世界では、教育以前の問題です。


その本当の意味を知る者、その本当の価値を知る者が、
余りにも、この世界には少なすぎるからです。
概念が消えたと言ってもいいでしょう。


アセンションとは、本当は「世界が変わる」事を意味しているのではなく、
「私たち自身が変わる」事を意味しているのです。



魂であることを実感すること、
私たちは肉体のみで生きている存在ではないと知ること、
多くの人がそれについて「実感」することは、とてつもなく大きな意識変革に
つながります。


意識が変われば、社会は大きな変化を見せるでしょう。
肉体のみで生きているのではないことが、頭でなく、身体で理解することができれば、
意識は間違いなく高くなり、物質至上主義はなりを潜め、犯罪は激減するでしょう。


なぜなら、今の肉体の自分しか存在せず、死ねば終り、という狭い意識の元では、
本物の慈愛は育たないからです。
魂のどこかが息づいている人の心の中には、この意味が理解できるでしょう。


その人の心の中には、永遠に息づく魂の光が存在するからです。


意識を高めることは、私たち自身の魂を磨くことでもあります。
魂が磨かれれば、それだけ、人としての生も輝きを増します。
それは人間的に見れば、人生の問題を減らし、生きやすくすることでもあります。
意識を高めましょう。


『あなた』の意識が変わることは、
「あなたの周りの意識を変える事」でもあります。


もし、あなたが何らかの問題を抱えているとしたら、それは一つのサインです。
あなたが何かを学び取るための。
不満を表出していても何も変わりません。
『あなた』が変われば、あなたの周りも変わります。

最初に変えるのは、環境でも、周りでもなく、あなた自身です。
とはいえ、そういうと、「一体どうすればいいの!?」と言う声が聞こえてきます。


今年から、そのことをサポートするための「オーラハーモニー(人と場のエネルギー調整)」を
始めることにしました。
自らが魂であることを身体で実感し、変化するためのサポートです。
詳細は、こちらをご覧下さい。

http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/


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100点を目指す心

yoko162007-03-09

皆さん、100点って聞くと何を一番に想い出しますか?

多分、テストかな?
学生でなくても、試験を想い出しますよね。


学生時代、私たちは常に100点を目指すことを
意識して生きてきました。
そしてある意味、人生においても人は、
100点を目指している気がします。
そして、100点であることが良いことだ、という価値観を
持っています。

それはつまり、いつも「上」を目指す、ということですね。

勝ち組、負け組、なんて言葉はこの事を端的に
現わしているのではないでしょうか?



でも、繰り返すようですが「上を目指すこと」が
そんなにいいのでしょうか?


私たちは、生活の向上(上)を目指して、
様々な便利なものを作り出し、
経済を発展させ、更に経済成長率を上げるため、
国も企業も躍起になっています。


でも、落ち着いて考えれば、そもそもなぜ、
経済は成長し続けなければならないのでしょう?
そうやって経済が成長し続け、ごみを増やし、CO2を増やし続ける生活が
地球の温暖化を推し進めてきたというのに?


そして、このままのやり方では、すべてのことがもう、
行き詰まりを見せているのに?



なぜ、私たちはどうしても上を目指してしまうのでしょう?
なぜ『上』を目指さずにはいられないのでしょう?
なぜ、この位置にいてはいけないのでしょう?
なぜ・・・・?


尽きることなく、この「なぜ」は出てきます。


私たちは、100点を取る事に躍起に
なっているのではないかしら・・・?

しかもその目指す100点は、あくまでも肉体の自分のためだけの
100点なのであり、心と魂のための100点ではないのです。


それでは、たとえその100点を取ったとしても、
幸せになれない人がいて当然です。
その100点は肉体のみにとって100点なのであって、
『自分』という大きな視点に立った、100点では無いからです。


人は、「肉体のみにて生くるに非ず」なのですから。


先日、「波(波長)」のお話をしましたが、この考え方は、
もとはといえば、私の友人の天使がもたらしてくれた情報でした。
『人や状況、すべては、波として認識すれば、理解できる』と
その天使は教えてくれたのです。



波・・・・。
つまり、波形です。


それを聞いた時、私にも、何を言っているのか、
さっぱり理解できませんでしたが、ふと友人が私に
こう言いました。


『それで人を波で現わしたらどうなるか、意識してみたら、
ほとんどの人がみんなグラフのように右肩上がりになっているのよ。
上に上がってるんだから、いいんじゃないかと思うんだけど、それでは
いけないらしいの。何でダメなんだろう・・?』と。


天使はそれに対してこう応えてくれました。
『人はいつも、上から上の波に移ろうとする』と。


それを聞いた瞬間、私の中でひらめいたものがありました。
「ああ、そうか・・・。皆、失敗するのが恐いんだ・・。」と。


私がオーラハーモニーでヒーリングやリーディングのお仕事をしていた時、
一番多かったのは、「私は何をすればいいでしょうか?」とか、
「私はどうすればいいでしょうか?」というような質問ばかりでした。
皆、私に答えを出してもらいたがっていました。
その人たちから見れば、私には何でも見えていて、何でも分かっていると
思えたのでしょう。


それは、その人たちが『失敗したくない』と
強く願っている構図そのものでした。
『失敗すること』に対する怖れは、人々の中で
とてつもなく大きいのでした。


では、本当に美しい『波』とは、どんなものなのだろう?
人が、波で表現できるなら、どんなものでも『波』で表現できるはず・・・。


それで私は、この世でもっとも美しいと思うもの
『愛』をイメージしてみました。


するとそれは、この上なく優しく穏やかで優美な波形を描いていました。
上下に柔らかく緩やかに繰り返す波・・・、それが『愛』の波形でした。


これが、存在のあるべき姿なんだ、と思いました。


その波形は、上がっては下がり、下がっては上がり、
とても緩やかな、美しいカーブを描きながら、どこまでも続いています。


そして、個々の人々の波は、その優美さに欠けていました。


人は誰でも上に行きたがるし、上を目指すけれど、本当の美しさは、
この上下する波そのものにあるのだ、と思いました。


つまり、点数で表すならば、この波形の上の点が100点なのではなく、
カーブしていくその美しい波形そのもの、もっと単純に言えば、
上が50点、下も50点だから、そのどちらかが欠けていても
100点ではないのです。


つまり、人生には、そのどちらもかけがえがなく必要なのだということ。


本物の人生の100点は、両方を丹念に感じて体験しきること、
これが本物の100点なのではないかしら。


そう感じたのです。
そして。


この考え方は、私をほっとさせてくれました。
至上最高のものである『愛』が、上下に波打ってる波であるのならば、
失敗や落ち込み、不安や怖れ、それもまた、一つの波の在り方だから。


私たちは、落ち込むと躍起になって這い上がろうとし、
頑張って抜け出ようと考えますが、人生の本当の美しさが波打つ波形に
あるのならば、波はいつか必ず上がり、
そして、いつか必ず下がるのものなのです。


その時にじたばたしていても仕方がない。
落ちている時には、落ちていることを楽しむ。
なるほど・・、これか、と感じます。
落ちいていても、必ず、上がる時が来るのです。
焦る必要はないのですね。


落ちた時は、落ち着いて、上がるまで、待つ。
待つことも、大切な『在り方』なのかもしれません。


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戦わないという選択。

yoko162007-03-08

人と人とが戦う、国と国とが戦う、自分の中の闇と戦う・・・。


人が戦いをやめない限り、戦いは続きます。
当たり前ですね。
でも・・・、この事がわかっている人が、本当はどれくらい、
いるのでしょうか?


そして、こう言うことを書いている私もまた、それが本当に分かっているとは
言えないのかもしれません。


戦いを続ける限り、決して『敵』はいなくなりません。
無限に『敵』は現れ続け、あなたの前に立ちはだかります。


たとえ一時、その敵に勝ったとしても、その勝利は
一時的なものに過ぎません。
何しろ、『敵』は無限に存在していて、相手を憎めば憎むほど、
こちらの力を手に入れて強くなるのですから・・・。


ここらで一度、「戦わない」という選択をしてみませんか?



ずっと以前、こんな夢を見たことがありました。

私の夢に出てきたのは、美しい数人の男女。
彼らは皆、白いローブを纏い、七色のビーズの首飾りを下げていました。
彼らは『太陽の戦士』と呼ばれていました。
決して戦うことのない戦士達のことです。


夢の中で彼らは、一滴の血も流さず、世界を平定していくのです。
彼らのやり方は、常に相手を受け入れることによって、
相手を受け入れさせる、というものでした。


目が覚めたとき、こんなやり方があるのか・・・、と
目からウロコが落ちたような気がしたものです。


もっとも、「これは夢だから」そんなことができていたのかも知れません。
けれど、新しい世界では、この意識こそがスタンダードです。


戦う、という荒いエネルギーのままでは新しい世界に
踏み込むことはできません。
もし今、誰かや自分と戦っているのなら、
戦わないやり方がないのかどうか、模索してみてください。


もちろん、自分が我慢をすればいいというのではないのです。
本当の自分を受け入れてもらうためには、戦っていては、不可能です。
ただ、本来の自分を表現する方法を変える、というだけのことなのです。


これは、今すぐ使うことができます。
自分と戦うことをやめる、と決意することは、実はとても
勇気のいる事です。
けれど、あなたが自分自身と戦うことをやめて、
意識を変える事を覚えたなら、それはあなたの人生にとても大きな
恩恵をもたらすことになるでしょう。


どうぞ、一度試してみてください。
戦って、自分を裁くのではなく、自分をいかにして受け入れるかを
考えて見てください。
その努力は、あなたとあなたの周りにいる人すべてに影響を
及ぼすでしょう。
それは、「戦争をいかにして止めるか」という事への大きなヒントなのです。

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