100点を目指す心

yoko162007-03-09

皆さん、100点って聞くと何を一番に想い出しますか?

多分、テストかな?
学生でなくても、試験を想い出しますよね。


学生時代、私たちは常に100点を目指すことを
意識して生きてきました。
そしてある意味、人生においても人は、
100点を目指している気がします。
そして、100点であることが良いことだ、という価値観を
持っています。

それはつまり、いつも「上」を目指す、ということですね。

勝ち組、負け組、なんて言葉はこの事を端的に
現わしているのではないでしょうか?



でも、繰り返すようですが「上を目指すこと」が
そんなにいいのでしょうか?


私たちは、生活の向上(上)を目指して、
様々な便利なものを作り出し、
経済を発展させ、更に経済成長率を上げるため、
国も企業も躍起になっています。


でも、落ち着いて考えれば、そもそもなぜ、
経済は成長し続けなければならないのでしょう?
そうやって経済が成長し続け、ごみを増やし、CO2を増やし続ける生活が
地球の温暖化を推し進めてきたというのに?


そして、このままのやり方では、すべてのことがもう、
行き詰まりを見せているのに?



なぜ、私たちはどうしても上を目指してしまうのでしょう?
なぜ『上』を目指さずにはいられないのでしょう?
なぜ、この位置にいてはいけないのでしょう?
なぜ・・・・?


尽きることなく、この「なぜ」は出てきます。


私たちは、100点を取る事に躍起に
なっているのではないかしら・・・?

しかもその目指す100点は、あくまでも肉体の自分のためだけの
100点なのであり、心と魂のための100点ではないのです。


それでは、たとえその100点を取ったとしても、
幸せになれない人がいて当然です。
その100点は肉体のみにとって100点なのであって、
『自分』という大きな視点に立った、100点では無いからです。


人は、「肉体のみにて生くるに非ず」なのですから。


先日、「波(波長)」のお話をしましたが、この考え方は、
もとはといえば、私の友人の天使がもたらしてくれた情報でした。
『人や状況、すべては、波として認識すれば、理解できる』と
その天使は教えてくれたのです。



波・・・・。
つまり、波形です。


それを聞いた時、私にも、何を言っているのか、
さっぱり理解できませんでしたが、ふと友人が私に
こう言いました。


『それで人を波で現わしたらどうなるか、意識してみたら、
ほとんどの人がみんなグラフのように右肩上がりになっているのよ。
上に上がってるんだから、いいんじゃないかと思うんだけど、それでは
いけないらしいの。何でダメなんだろう・・?』と。


天使はそれに対してこう応えてくれました。
『人はいつも、上から上の波に移ろうとする』と。


それを聞いた瞬間、私の中でひらめいたものがありました。
「ああ、そうか・・・。皆、失敗するのが恐いんだ・・。」と。


私がオーラハーモニーでヒーリングやリーディングのお仕事をしていた時、
一番多かったのは、「私は何をすればいいでしょうか?」とか、
「私はどうすればいいでしょうか?」というような質問ばかりでした。
皆、私に答えを出してもらいたがっていました。
その人たちから見れば、私には何でも見えていて、何でも分かっていると
思えたのでしょう。


それは、その人たちが『失敗したくない』と
強く願っている構図そのものでした。
『失敗すること』に対する怖れは、人々の中で
とてつもなく大きいのでした。


では、本当に美しい『波』とは、どんなものなのだろう?
人が、波で表現できるなら、どんなものでも『波』で表現できるはず・・・。


それで私は、この世でもっとも美しいと思うもの
『愛』をイメージしてみました。


するとそれは、この上なく優しく穏やかで優美な波形を描いていました。
上下に柔らかく緩やかに繰り返す波・・・、それが『愛』の波形でした。


これが、存在のあるべき姿なんだ、と思いました。


その波形は、上がっては下がり、下がっては上がり、
とても緩やかな、美しいカーブを描きながら、どこまでも続いています。


そして、個々の人々の波は、その優美さに欠けていました。


人は誰でも上に行きたがるし、上を目指すけれど、本当の美しさは、
この上下する波そのものにあるのだ、と思いました。


つまり、点数で表すならば、この波形の上の点が100点なのではなく、
カーブしていくその美しい波形そのもの、もっと単純に言えば、
上が50点、下も50点だから、そのどちらかが欠けていても
100点ではないのです。


つまり、人生には、そのどちらもかけがえがなく必要なのだということ。


本物の人生の100点は、両方を丹念に感じて体験しきること、
これが本物の100点なのではないかしら。


そう感じたのです。
そして。


この考え方は、私をほっとさせてくれました。
至上最高のものである『愛』が、上下に波打ってる波であるのならば、
失敗や落ち込み、不安や怖れ、それもまた、一つの波の在り方だから。


私たちは、落ち込むと躍起になって這い上がろうとし、
頑張って抜け出ようと考えますが、人生の本当の美しさが波打つ波形に
あるのならば、波はいつか必ず上がり、
そして、いつか必ず下がるのものなのです。


その時にじたばたしていても仕方がない。
落ちている時には、落ちていることを楽しむ。
なるほど・・、これか、と感じます。
落ちいていても、必ず、上がる時が来るのです。
焦る必要はないのですね。


落ちた時は、落ち着いて、上がるまで、待つ。
待つことも、大切な『在り方』なのかもしれません。


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