アセンションへの旅2

yoko162007-05-01

この前は結局、前日の話で終ってしまいました。(笑)
当日にまだ、たどり着いてませんでしたね。(^^;)
続き書きましたが、長いので、ちょっと小分けにして
ここに載せますね。


そういうわけで私たちは何がなんだかわからないまま、
アセンション」してしまったらしいのでした。
というわけで、「じゃあ、寝てもいい?」
ここでもまだ、二人ともアセンションしたことの衝撃より、
眠気の方が勝っています。(爆笑)


とにかく眠くて、いやー「5次元って、『あ、かるい』世界なんだね〜。」とか
ものすごく軽いノリになっています。(笑)


何しろ変わった事といえば、明るくて軽くなったこと。
明るいから「あ」を取ったら、軽い。だから「あ、かるい」。おやじギャグ?(笑)


面白いことに、5次元が軽い、明るい、と感じた途端、3次元って
重かったんだー、と感じました。
5次元が「明るくて軽い世界」だとすると3次元は「おもい世界」。


「おもい」は」重い」と「思い」の意味。
「重い」は言葉通り、エネルギー的にも物理的にも重いことですが、
「思い」はマインド、つまり考えのこと。


考える世界・・・、すなわち精神に支配されている世界、これが
3次元だったと理解したのです。
物理的な世界だと頭では思っていたけれど、5次元の状態を知ると、
3次元はむしろ、とことん「精神」に支配されている世界なのだ、と
理解できてきました。


過剰に欲しいという気持ちは、確かに精神が生み出すもの。
肉体は、必要以上のものを欲しがるはずはないのですよね。
人は、自分の体の状態を無視しても、余分に食事を取ったり、
お酒を飲んだりタバコを吸ったりすることができます。
これは、精神の支配によるものです。


5次元では考えないこと、ただ『在ること』こそがスタンダードなのだと
感じます。そう、「感じる」これも5次元で大切なもの、ですね。


ああ、そういえば、今は普通に地球も3次元というより、
4次元に入ってきているそうです。


(それから申し上げておきますが、アセンションするのが
特別な事だ、なんて思わないで下さいね。
誰かが先にお風呂に浸かっているからって、別に
すごいことじゃないでしょう。(笑))

これからみんなアセンションするんです。だから、とっても普通のことなんです。
それに、私たちがアセンションしたって事は、これを読んでる方たちも
すでに知らずにアセンションしてしまっているかもしれません。
なんかいつもより、空気や体が軽い気がする、なんて感じませんか?

毎日がなんとなく楽しくなってきたりしていませんか?
皆さん、どんどんアセンションしてください!!


そうして、人類全体の振動数を上げましょう!!
(って、また脱線しています。^^;)




この後も色々やったのですが、他の事はすべて忘れてしまいました。(笑)
一番不思議だったのは、ずーっと、眠くて眠くて仕方なかった私たちが、
その日にやるべきことを終了した瞬間、目が覚めたこと。(笑)

あー、これは明らかに眠い状態にしてくれていたんだなー、と
思いました。
考えられない状況をわざわざ作ってくれていたのだと、
わかって、本当に神様っているわね、とまたもしみじみと思いました。


さて、やっと24日。


滋賀を出る時には、暖かかったのに、名古屋につく頃には、
新幹線の中もなんだかひんやりしてきました。
エアコンが入ったのかと思っていたら、外に出たらもっと寒くてびっくり。

熱田神宮に出かける前、今日の作業にどのくらい時間がかかるかしらと
聞いてみると、『鞍馬の時よりかからない』とのこと。
「鞍馬」と聞いた瞬間、去年行った鞍馬山での出来事を想い出し、
あれよりましなのか、となんだか一瞬気が緩みました。


鞍馬山でのお仕事の時は、朝10時に始まって、終ったのが午後3時過ぎ。
一緒に行った方たちも大変な状態で、おまけに、
午後4時まで食事もできず、遠いところから来られた方に至っては、
午後6時すぎにやっと食事にありつけた、というくらい、時間もかかって、
困難でしたから、あれよりまし、と言われたからといって、
ほっとしている場合ではないのでは・・・?


と思い至ったのは、鞍馬の二の舞をしたくないと、前もって食事を取ることにして、
入ったスターバックスの中。
ともかくも、そこで軽めの食事をして、さあ、と熱田神宮へ。


熱田神宮は、今回のことで「次はここ」と決まるまで、意識したこともない
場所でした。というか、基本的にもともと神社とか、パワースポットには
あまり興味がなくて、ほとんど寄り付きもしなかったので、この魂のお仕事が
始まるまで、行ったこともない所ばかりでしたが。(笑)


熱田神宮は調べてみると、三種の神器と呼ばれる剣、
「草薙の剣」が安置されている場所でした。
実際、行ってみると敷地が広く、駅から歩いてもすぐかと思っていたら、
結構歩く歩く。
やっと、門まで辿りついて、入った途端、すでに「うっ」と来る空気。


友人と二人、中とは逆方向に進みたい気持ちを抑えて、中へと入っていきました。
しばらくすると、少し広い場所に出て、先ほどまでのうっとする重い空気は
どこへやら、なんだか心地よい光と暖かさに包まれた場所がありました。

その日の名古屋は、なんだか空気が重く沈んだ感じがしていて、
もうすぐ雨でも降りそうな気配の雲行きで、肌寒い感じがしたのですが、
その場所にいるだけで、エネルギーが満ちてきて、なんだか暖かいを通り越して
暑いくらいになってきました。


その場所に名残惜しい気持ちでわかれを告げて、先へ進むと、
突然、そこに現れたのは、天上から光が降り注いでいるような場所。
そして私の目に映ったのは、金色の光に包まれた荘厳な本殿。

思わず息を呑むような光景でした。
今までいくつもの有名どころの神社に足を運びましたが、
こんな風に光輝いている本殿を見たのは、後にも先にもこれがはじめてでした。


その場所全体が金色に輝いているのだけれど、
本殿の奥からは、また違った光が溢れ出ている・・・、そんな感じです。
あの感じ・・、今まで一度も味わったことのない、
正に天上の光とエネルギーを体現したような場所・・・。


正直それは、今日はここに来られただけで満足、と
思ったくらいすばらしいものでした。

本殿には明らかに、高い存在がおられ、そこから
私たちにエネルギーを使って話しかけて来られるのです。
話かける・・・、という私たちの認識とは全く違うやり方、
言葉ではなく、必要な意識の部分をまるごと見せる、というような感じです。


光輝く神・・・。
その姿はわからず、名前も知らない・・・、けれどその存在の高さと
輝きだけは、私たちにも分かりました。

人間が付けた名は、その存在の一部分をも現わす事はできず、
その存在にふさわしい名など存在しない、と感じました。
その方は多分、いつもそこにおられるのではないのでしょう。
もしそうなら、熱田神宮の名は、遥かに遠くまで響き、もっと
多くの人々を引き寄せずにはいないでしょう。


ただ、その時のその本殿の荘厳さと例えようもない美しさは、
派手派手しいものではなく、繊細で細やかで、それでいて、圧倒的な
ものでした。
今まで、感じたことのない高さと美しさがそこには存在していました。


人は強い力を素晴らしいと思っています。
けれど、本当の価値はその高さにあるのです。
その高さ、美しさは、その心に添うものにしか見る事はできません。
何を美しいと思うのかも、その人の心次第なのですから。


まだまだ、続きます・・・。
ああ、私っていつもどうしてこう、簡潔に書けないんだろう・・・。(^^;)



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