アセンションへの旅4

yoko162007-05-04

私の友人の顔が浮かびました。
彼女も私と一緒にエルサレムへ行く役目がある、と私は感じました。
そして、そのことを友人に話すと、「えーっ、それは無理」と思ったとおりの反応が
返ってきました。
でも、そういいながらも、彼女もまた、私と同じように、そのことに抵抗しても
無駄だと知っています。


というわけで、二人でどうすれば行けるのか?、また、それはいつなのか?
を考えてみることにしました。
それにしても、どうしてもイスラエルに行かないとダメなのかな? と
友人と話していて、はた、と気が付きました。


そういえば、以前メッセージは、日本は世界の雛形だと言ってなかったっけ?
と、いうことは日本のどこかにエルサレムがあるはず。
それで、日本のエルサレムに行く、ということでもOKかどうか聞いてみると、
それでもいいらしいことが判明。


それで私たちは、心底ほっとして、日本のエルサレムは一体、どこなのか
調べることにしました。


イスラエルとかかわりがあるらしい出雲大社や、宗像大社など、色々
調べてみましたが、どうもここ、という感じがしません。
形どおりの場所、ということではなさそうです。
とにかく時期だけは、2007年春、ということが分かっていたので、
その日が近づいてきたら、何かお知らせがあるだろう、と待つことにしました。


とは言っても、なんだか気になっていろいろと探してみたり、
地図を調べてみたりしていたのですが(笑)全くそれらしいところは
見つかりませんでした。


そのうち日程だけは、はっきりと4月24日だと指示があり、
平日の火曜日なんて、なんて都合が悪いの、と思いながらも、
場所は決まらないままに日は過ぎていきました。


そして、今年2007年1月も終わりごろだったでしょうか、ふと私の目に
熱田神宮』という文字が、飛び込んできました。
それまで熱田神宮がどんなところなのか、まったくもって、知らなかったのですが、
それを見た瞬間、そこが4月24日に行くところだ!! と突然閃いたのです。


友人に確認を取ってみると、彼女もそうだと言います。
熱田神宮って、一体どこ・・・?
二人とも知らなかったので、とりあえず、ネット検索してみると、
名古屋にあるらしいことが分かりました。
3種の神器の一つ、草薙の剣の収めてあるところ。
とにかく、私たちが知っていたのは、その僅かな情報に留まりました。
実際に何をすればいいのかは、本当の所、当日行って見なけりゃわからない・・、
というわけです。


熱田神宮へ行く前の日に、私に来ていたメッセージは
その日24日、熱田神宮エルサレムとして機能するだけでなく、
世界の縮図になる、というようなイメージを私に伝えてきていました。


まさか、その縮図になった世界を癒せとか、浄化せよ、
とか言うんじゃないでしょうね・・・。
嫌な予感を抱えつつ、今まで何度こんなパターンで、大変な思いをしたことか・・。


そんな予感を持って、熱田神宮へ向かった私たちでしたが、
本殿でのあまりに美しいエネルギーに、ちょっとほっ。
私たちは、呼ばれてここへ来たことを報告しに、本殿へ参拝することにしました。


本殿へ拝礼すると、そこからなんともいえない、柔らかで、輝かしいエネルギーが
吹き上げてきました。私は、私たちの到着を告げました。


その時、私は何か聞いたのですが、実のところ、今はその時に何を聞いたのか、
夢の中にいたように、さっぱり覚えていないのです。
大切な言葉を聞いた気がするのに、目が覚めたら、忘れていた・・、
とでも言わんばかりに全く思い出せないのです。
多分、ここに書くことはできない事柄なのでしょう。


けれども、その時はその重要な言葉を胸に、熱田神宮の中を巡ることになりました。
本殿の鳥居を抜けた途端、またまた空気は異様に重くなり、あっという間に
私たちのお仕事空間に出てきました。


そこで、様々な場所を浄化したり、エネルギーのバランスをとったり、
流れが悪くなっているところの流れを復活させたりしながら、
次はここ、と指示がある方向に進んで行きました。


しばらくすると、『八剣宮』という参拝する場所に出ました。
私たちは、そこが何かを知らなかったのですが(実を言えばまだ知らないのですが)、
参拝しようと石段に足をかけた途端、『何が望みか』と問う声がしました。
私たちに『まことの望みを言え』と言うのです。


私はその時、自分の本当の望みは何かと考えていました。
本当の心からの望み、この世界が変わるために必要なものは、
『愛』と『力』。
私は、このどちらもが共に必要だと思いました。
この世界が変わるには、愛が必要。
けれど、動かすためには力も必要。


そして、はっと気づいたのです。
『愛とは、力だ。』と。
私の腹は決まりました。
友人を促して、前へ進み出、私は、祈りました。
『私のまことの望みは、愛(ちから)です。』と。


すると、その声はまず友人に向かってこう言いました。
『汝には、金の龍と地の剣。これは世界を輝かせ、世界を守るもの。』
そして私に向かっては、
『汝には、白の龍と日の剣。これは世界を照らし、浄化するもの。』
と言いました。


この時、私たちはこの言葉を理解していたわけではありませんでしたが、
とにかくこの場で、その言葉どおりのものを受け取ったのです。
目には見えない、エネルギーとしての剣を受け取ったのでした。


そして、その場を離れようとすると、不思議なことに、
それまで降りそうに曇っていた空は突然明るく晴れ、太陽の光が差してきました。
その時は、まるで、祝福を受けているような気がしたものです。


もっとも、私たち自身に何か物理的な変化が見られた、
というわけでもなかったのですが。
(あ、そういえば、お互いに顔が光ってるよ、とは言い合ってましたね。笑)


その後も浄化したり、流れを呼び込んだりすることが続いたのですが、
一度、浄化しようとしていた時に『日の剣を掲げよ』という声がしたのです。
でもどうやればいいのかさっぱり分からなかったので、
イメージで腰から剣を抜いて、空に向かって掲げてみました。


が、何にも起こりません。
いつものように普通に浄化していた方がましなくらいです。
何かやり方が間違っているのかな?


そしてふっとあの声がくれた「龍と剣」とは愛の力のことだ、と気づいたのです。
あの声が私たちにくれたものは、物体ではなく、光。
すなわち、龍と剣は私たち自身なんだ、と。

つまり、私は剣を振るうのではなく、わたしが剣そのもので、
光そのものなのです。
ということは、日の剣を掲げよ、とは私自身が光であれ、と
いう事なのではないかしら・・・?


そう思った瞬間、私は自分の体から光が溢れてくるのを感じました。
そして、そう感じた途端、あっという間にその場の浄化は終了していました。


私たちは、その後も何度か、そのような事をして、もう終了? と思ったのですが、
二人揃って、「まだだね」と頷きあい、次の場所へと向かいました。
それは、最初に通った道だったのですが、その時は全く見向きもせず素通りしていた
宝物館への道でした。


その日はおりしも、儀式に使う鏡を展示して見せている最後の日でした。
これもまた、何か意味があるのでしょう。
私たちは、いくつかの鏡の前に惹かれるように立ち、二人のうちのどちらかが、
その鏡から情報を得ました。
その内容? それは、秘密です。(笑)
と、言うのは冗談ですが、こうした情報は、必要にならなければ、
取り出すことはできません。
ですから、今は私たちの内部にしまわれているのです。


さて、やっとこれでこの日のやるべきことは終了しました。
私たちは、剣、鏡、玉の3種の神器すべてを手にしていることを
知っていました。
それは物質ではなく、エネルギーとして私たちと共にあったのです。


剣は先ほど『八剣宮』でもらったもの、『鏡』は宝物館で、そして、『玉』は
私たち自身です。玉は魂のことですから。(^-^)


そして、これらのすべてを持って、私たちは本殿へと向かいました。
これらのすべてを、本殿へおわす神へ奉納するためです。


私たちは、二人とも何も言わずにただ本殿へ向かいましたが、
やるべき事はわかっていました。
私たちは自分の持つ3種の神器のすべてを奉納しました。
私は、突然自分が神官にでもなったように、儀式めいた古い言葉で
自分の得たもののすべてをお返ししていました。


神は私たちの差し出したものを受け取り、そして、
再び私たちにそれを与えました。
全き一つのものとして。
私たちの意識の中でそれは一つのものとして、
存在しています。



この時もやはり私は言葉を聞いたのですが、
この言葉は、大切に取っておこうと思います。
私にとって、とても大切な言葉でしたから。


私たちがこの日、本当は何をしたのか、何ができたのか、
よく分かっていません。
人間的な変化が地球に訪れるのは、まだずっと先かもしれません。
けれど、少なくとも私たちがやるべき事は果たしました。
そして、それがどのような結果であれ、満足しています。


また、これから先もたくさんこのようなことが続いていくのでしょう。
すべての人がアセンションし、新しい世界へと移り変わるために、
目に見えない仕事の一部を自分が請け負っていられることに、
誇りを持ってもいいかな・・。


きっと、私の魂は、どんな人生よりも、今が一番楽しいのだろうな、と
思います。

今回のアセンションへの旅は、これで終わりです。


このタイトルでブログをはじめた訳が、実はこんなところにあったのか、
と自分でも驚いています。
以前の私は、こんなことを決して書きませんでした。
興味本位な人を惹き付けたくないから。という理由を
人だけでなく、自分にも言い訳にしていました。

私は、恐れていました。
こんな事を書いたら、どう思われるだろうか、
誹謗中傷の的になるのは、嫌だ、と。
これは、今思うと、自分の中にあるトラウマだったのです。


でもこれは、今にして見れば、故ない恐れでした。
自分を恐れて何もしないのだったら、
何のために、この時期この地球に生まれてきたのか、わからない・・・。
だから、これを書く必要があったのね、と思います。


私が何を書いても、それを受け取る人にすべてを
任せてしまえばいい、と今は思えるようになりました。
私が何を書くかは、私に責任がある、けれどそれを読んで何を感じるかは、
その人に責任があるのです。
人の感想に私が責任を取るのは間違っていますから。(笑)


というわけで、これから、まだまだ続くであろう私の実際の
アセンションへの旅」と、これまでの「アセンションへの旅」を
時間が許す限り綴っていこうと思います。


少なくとも、私はここに書くことをただ想像して書いているわけでは
ないことを告白しておきます。
そして、それを書くということがどれほど、恐かったかも。
他の人にとって、それが真実か否かは私には問題ではありません。

なにしろ、これは私自身の旅ですから。
他の人には他の人の旅があるのでしょう。


私はこれからも、私の心の声が私を導く方へ、常に進んで行こうと
思っています。



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