何が善で何が悪か

yoko162007-05-11

「何が善で何が悪か」この言葉の二元性に振り回される間、
私たちは本当のことは何もわからない、と前々から思っていました。


誰しも、自分の正義を振りかざすけんかや、争いや戦争のもとに
なっているこの意識。
これに振り回されていても、何一つ解決しないのです。


例えば、かつては世界一安全と謳われた日本も、今や
安全な国とは言い難い国になりました。
子供が外で一人で遊ぶこともままならない世の中に、
ため息をつきたくなる人も多いでしょう。


少なくとも、私が子供の頃には、幼い子供が理由もなく、
道端でさらわれたり、暴力を振るわれたり、さらには、
殺害されるなんて事はありませんでした。
けれど、今は子供が遅く帰ってくれば、親は誰かに襲われたのではないか、
誰かにさらわれたのではないか、などといらぬ心配しなければならない
世の中です。


それを社会が悪い、犯罪を犯したらその親が悪い、
それをきちんと取り締まれない警察が悪い、ひいては、
こんな国にした政府が悪いといえば、いくらでも、
悪者を作り出すことができますね。
でも「誰かが悪い」と言っている間、何にも解決しませんよね。
かといって「自分が悪い」、なんて思っても結果は同じです。


良い、悪い、という観念の中では、結果はこの二つしかありません。
『良いか、悪いか』です。


人間としては、この意識にのっとって、
あの人が悪い、この人がいけない、という気持ちがあるのは事実ですが、
冷静になってみれば、この『決め付け』からは何一つ生まれてこないことに
気づくのです。


犯罪が凶悪化すれば、罰則を厳しくしようと言います。
けれど、罰則を強化したところで、犯罪はなくなることはありませんし、
犯罪を犯した子供の親をなじってみてもどうにもなりません。
考えてみれば、自分の子供を犯罪者に育てようなんて思う親が
どこにいるでしょうか?


先日、ニュースを見ていたら、こんなことを放送していました。
生徒が荒れてしょうがない学校で、それを調整する仕事をする人に
荒れる生徒達をまかせることにしたというのです。


その調整役をやる人は、元暴走族の総長をやっていたといいます。
けれど、あることがきっかけで、暴走族をやめ、また後には
その暴走族の仲間でボランティアをはじめたという、
とてもユニークな経歴の持ち主でした。


その人は学校にやってきて、荒れた少年たちを、
決して叱ったり、声を荒げたりすることはなく、
まずは仲間に入り、信頼関係を作ることからはじめていました。
そしてさりげなく、問題のない方に誘導していくのです。


もちろん、時には真剣勝負のやりとりもありますが、
彼は荒れた少年達の心の中に、土足で入り込むのではなく、
彼らを本当に愛しい子供たち、として扱っているのが
わかりました。
頭ごなしに分からせようとするのではなく、
心を開かせて、相手に寄り添うのです。


そうすることで、彼は少年達の本当の信頼を勝ち得ていました。
それを見たとき、私はなんだかとても感動しました。
彼は決して、職業だからその仕事をしているのではないのです。
彼は、心から子供たちの為に行動しているのであって、
その仕事は、彼にとってライフワークなのだろうと感じました。


その人と生徒の間には、心からの信頼関係が出来上がっていくのが見えました。
その人への信頼が、子供たちを変化させていきました。
そして、あれほどまでに荒れていた子供たちが、卒業式では
誰よりも先に、涙を流して泣いていました。


私はそれを見たとき、これなんだよ!と思いました。
人間の私はまだまだ修行不足ですから、年中子供とけんかしていますし、
それを反省する毎日ですが、頭からいいとか悪いとか決め付けられた瞬間に、
相手はその通りの行動を取り始めるのですね。


ほら、思い当たるふしはないでしょうか?
「お前が悪い!」と決め付けられると、なんだか相手がすごく憎くなって、
逆に相手が悪い、と思うものなんです。
すると当然、言動も行動も荒くなりますよね。
ところが、逆に『あなたは本当に優しい人ですね。』なんて
言われると、その人の前ではなんとなく、優しくなれてしまうんです。


人間って、自分の意志で動いていると思っているのですが、自分の行動の大半は、
思い込みと、相手の自分に対する態度への反応だったりします。


相手をどのように見るかは、結局「自分自身をどのように見ているか」の
雛形です。
何しろ、相手を通して自分を知るのですから、相手に対する思いは、
まさしく自分の自分に対する思いに他なりません。


人をさげすんで見ていれば、その人から恨まれます。
そのさげすむ相手は、本当はあなた自身です。
逆に憧れを持つ人もあなたのもう一つの写し絵です。
すべての人は、あなたの中にいるから、あなたの世界に存在するのです。


「何が善で何が悪か」と決め付ける事は、自分自身にレッテルを
貼り付けているのと同じなんですね。
自分自身を変えることは、なるほど、自分の世界を変えること・・・。
私が見て感じるものは、誰でなく、私自身のものなのですね。


一番大切なのは、『何が善で何が悪か』ではなく、「どうすれば幸福か」を
意識する事だと思います。
この一瞬に、どの思考を選び取るのか、そのことが私たちに
幸せも不幸ももたらすのです。

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