アセンションへの旅3

yoko162007-05-02

熱田神宮がこれほど素晴らしい場所だとは、
思っても見なかった私たちは、あまりのその美しさに心を打たれました。
金色に光輝くエネルギーを浴びて、立ち尽くしました。


思わず二人ともその光景を写真に収めようと、カメラを手にしたのですが、
何枚も撮らない内に、写真に撮ってはいけない、との声がしてきました。
私たちは、「がーん」と思いながらも、この神聖さを壊すことになる行為だと
感じていたので、その声に従いました。


熱田神宮へ来ることになったのは、去年の10月頃だったと思いますが、
例によって多次元存在からの声の指示に従ったからでした。

その声を聞いた時、私は普通に洗濯物を干していました。
その日はいいお天気で、ご機嫌で洗濯物を干していた私の頭に、
突然いつものように声が響いてきました。


エルサレムへ行け」と。


「はい?」思わず、洗濯物を落としそうになりながら、聞き返しました。
すると、もう一度頭の中へ「エルサレムへ行け」という言葉が響いてきました。


正直、去年の夏からずっとこの調子で「次は・・・へ行け」という指示が出て、
毎回、頭を抱えていましたが、だんだんそんな指示にも慣れてきたな、なーんて
思っていたのですが、これは予想外。


エルサレムって、エルサレムって、だいたいどこにあるのよ!?」
魂の声に従う、と決めていたにしても、これは予想の範疇を越えていました。
「だいたい、エルサレムに行って私に何をしろというの?」と思いました。
すると返ってきた答えに、またまた私は頭が真っ白になりました。


『愚かな戦争をやめさせよ。』


って、そりゃー、いくらなんでも無理っていうものでしょー。(^^;)
頼む相手を間違ってると思います。(きっぱり)


とはいえ、こう言ってきたからには、私に何かやることがあるらしい事は
わかっていました。
別にこの言葉どおりに私が戦争をやめさせることができるなんて、
思っているわけではありません。
が、何らかの仕事をせよ、という事なのだと私は理解しました。


これだけのことは、ほんの一瞬の間の出来事で、
当然、私はしばらく固まっていました。(笑)


思わず、言われた事の大きさに、しばらく呆然として、動けませんでした。
一体、何てこと言うのよー。と心の中では思っていて、体からは血の気が引き、
手には汗がにじんでいました。


でも。それでも、私の中にノーの答えはないのでした。
それがどんなに理不尽な要求に思えても、私にできないことは決して
私のところにやって来る事はない、と実体験を通して知っているのです。


だったら、実際に戦争を止めることは他の誰かがやるにせよ、
私にも何らかの仕事がある、という事です。
ならば、やるしかない、と心を決めて、さて、エルサレムがどこにあるのか、
と考えてみると、エルサレムは、たしかイスラエルだったはず・・。


イスラエルって、ものすごい危険地帯じゃないのっっっ。
そんなとこ行けないわよ! と思いつつ・・、なぜエルサレムなのかを
考えてみました。


エルサレムは、様々な宗教の聖地です。
そういえば、昔から、戦争は神の名の元に行われてきたのです。
今は、違う言葉を使う事もあるけれど、結局は思想の違いを宗教間の対立に
することで体よく戦争をしてきたのだ・・・、と思いました。
戦争は体の良い略奪行為に過ぎない。


それをやめさせる・・・、その行為は無意味だと知らしめるには、
人々の意識が高くなくてはならないのです。
人のものは自分のもの、というように意識が低いままでは、戦争をやめることは
叶いません。その根底にあるものが、幼い意識である限り、
人は本当に成長することは難しいからです。


以前、子供がまだ小さかった頃、彼女は『アンパンマン』が大好きで、
アニメを見たり、お話を読んだりしていました。
私は、『アンパンマン』に出てくる「自分は正義の見方!」というキャラクターに
限って、すぐにバイキンマンにだまされて、何もしていないアンパンマンに攻撃を
仕掛けてくるのを、いつも不思議な気持ちで見ていました。


なぜ、このキャラクターたちは、こんなに単純に知り合いでもない
バイキンマンの言葉を信じるのだろうか?、と。


でも、これは私たちの生活にとてもよく当てはまるのです。
知りもしない人のイメージだけで、その人をそしることや、
大変な目に遭っている人に対して、知らないという理由だけで、
好き勝手なことを言ってしまう事も、私はこのキャラクターたちと
なんら変わらないと思いました。


意識が高くなくてはならない、のです。


意識が高ければ、戦争を起こすよりも先に、
人を思い遣ることができるのです。
あの911の事件から、イラク戦争は始まりましたが、
あの911の事件に巻き込まれた人の家族がなんと言っていたか、
ご存知ですか?


直接、家族を失った苦しみの真っ只中にいるその人たちは、
決して復讐を叫んではいませんでした。
「私たちと同じように苦しむ人を増やしたくない」と、その人たちの言葉は
思い遣りに満ちていました。
復讐を叫んだのは、その映像を見て、恐怖に駆られた人々です。
怒りと不安は、人々を戦争へと駆り立てたのです。


ここに何があるのか、見て取れますか?


不安と怖れ。


実は、これほど恐い感情はないのです。
人は不安に駆られると、闇雲にそれを打ち消そうとします。
ゴキブリを嫌いな人が、むやみとゴキブリを打ち殺そうとするように、
もし、同じ行動を人間相手に取ったなら、どんな恐ろしいことになるかは
想像がつくでしょう。


戦争は、一種、こんな狂気に囚われた状態です。
冷静にならなければ、決して本当に自分が置かれた状況を判断できるものではなく、
闇雲にテロを抹殺しようと、ミサイルや銃を使っても、どうにもならないことを
いい加減に、気づかなければならないのです。
テロとは、暴力集団という物体ではなく、人の心の在り方だということに気づき、
相手を人間扱いすることがない限り、相手も人間らしく振る舞いはしないのです。



私たちは、いつも不安に駆られて、狂気に陥る前に、冷静になる必要があります。
ゴキブリが出たって、それでいきなり死ぬわけではないのです。
落ち着きましょう。


戦争の元は、私たちの心に潜んでいます。
私たち自身が意識を高く持つことで、すべては変化するのです。


書いているうちにまたもや、脱線してしまいました。(悪い癖です。^^;)
話を元に戻しましょう。


とりあえず、エルサレム。そこに行くにはどうしたらいいのか、と考えてみました。
どうやって行けばいいのか、などを考えているうちに、そこに行くのは、
私一人ではないことに気づきました。


ごめんなさい。再び、つづきます。


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