アトランティスの記憶

yoko162007-03-22

エンリケバリオス氏の書いた『まほう色の瞳』という本を
読み直していました。


以前、あの本を手に取ったのは、「アミ小さな宇宙人」を
読んだから同じ作者の人の作品に興味があったこと・・・、と
もう一つは、私が物心ついた時から、心惹かれてやまない
アトランティス』について書かれていたからでした。


もちろん、作者は単なる想像で書いたのかもしれません。
または、何かに突き動かされて書いたのかもしれません。
私のように何かを受け取って書いていたのかもしれません。


その本を読み始めた途端、私の身体は痺れて、それをただの物語だと
思うことはできなくなりました。
私には、その物語がどんな方向に展開していくのか、読む前に
分かっていました。


なぜなら、私の古い記憶、私の過去世での記憶がそれと似た展開を
『知っていた』からでした。
この物語の中で、大陸アトランティスは、「偉大なる跳躍」
を果たすことができず、(つまり、アセンションすることが叶わず)
惨めに失敗し、海に沈んだのです。


それは私にとって『物語』ではなく、かつて現実に起こったことでした。
この物語の冒頭で語られる、アトランティスについての記述は表現こそ違え、
私の知る限り本当のことでした。(表面的な事柄ではない)


小さい時から何度となく見ていた津波の夢・・・。
けれど私は、その津波に飲まれることはできなかった・・・。
なぜなら私はその時代、アトランティスで重要な長老の位置にあり、
私には、アトランティスに残された智慧を、後世に残す役割があったから・・・。


私は、その時も今と同じ、人類の進化を促すための仕事に従事していました。
けれど、後もう一歩のところで果たせなかった・・・。
この星の人々が揃って、新しい世界に踏み出していくこと・・・、
それがその時の私の願いであり、使命でした。


光を集め、世界に放つ・・・。
それが本当の意味でできたなら、あの時、世界は変わるはずでした。
けれど、その時、結局人の心の中にある闇の力に負けてしまった・・・。
闇とは、欲のことです。欲求ではなく、不毛なほど拡大した欲望・・・、
それに私たちは勝てなかった。


失敗したと悟った時の、あの時の人としての悲しみは例えようがありません。
けれど、もう一人の私はそれでも知っていました。
また、同じような時が遥かな時を経て、巡ってくることを。


そして、その時の出来事を魂に刻みました。
その時のことを決して忘れてはならないと。
それは、遠い時間と空間を経て、必ず今一度起きる事なのだから。

あのときのことは繰り返してはならない。
そう、強く想い出すのです。


そのときのことを思い出すと、私は今でも泣きたくなってきてしまいます。
でももう一人の私は、未熟な私たちが学ぶために、この遥かな時を
越えてきたのだということも分かっています。
そして、この言葉がこの世界の理にしか耳を貸さない人たちにどんなに荒唐無稽に
聞こえるのかも。


以前の私なら、そちらの声を気にして、決してこんなことを書かなかったでしょう。
自分自身の理性という名の愚かしさに耳を貸して。


けれど、今の私は、本当のことだけを書くべきだと言う気がしています。
近しい友人にしか話さなかったことをここに少しずつ書いていこうと
思います。
おそらく、このブログを読みに来てくださっている方の中には、
私の言っていることが事実で在る事を『知っている人、覚えている人』
がいるかもしれません。
あの当時に生きていて、もう一度この時代に生まれ変わっている人は
相当数いるはずですから。


そう、私たちはこの星と共に、振動数を上げて、変化する時期に
来ています。
私たちが、肉体的にただ動くだけでは、もう限界です。


私たちがこれからやっていくのは、自分の魂の存在に気づき、
自ら大きく変化していくことを許すこと。


私は、かつてあの時代には、本当はとても力を持った立場にいました。
それなのになし得なかった事を、今この時代に、何の力も持たないただの主婦として
ここに存在して、一体何ができるのか、と思わないと言ったら、
嘘になります。
このような大変な時期に、どのように人々の心に訴えかければいいのか、
そしてどうすれば、人が本当の自分に気づいてくれるのか、全くの手探りの
状態で、時々立ち尽くしたくなることもあります。

おまけにこんなことを書いてしまったから、普通に付き合っていたはずの人も、
これを読んだら引いていくだろう事も目に見えたりしますし・・。(苦笑)


けれど、一番大切なのは、ここに書いている表面の部分ではない、
ということなのです。
表層的な意識で読めば、ここから何一つ、本当のことを持っていくことは
できないでしょう。


言ってしまえば、アトランティスも長老もどうでもいいのです。
私が言いたいのは、今、その時と同じ危機に明らかに私たちがいるということ。
そして、同時に今こそ、新しい世界に飛躍するための大きなチャンスが
私たちの目の前にあるのです。


その大いなる変化、大規模な意識変革は、誰が意識しようとしまいと、
この地球に生きている以上、誰一人として逃れることはできません。
どこかの国の王様であろうと、飢えて死にかけている人であろうと、
同じなのです。
そういう意味で、私たちは等しく同じ権利が与えられているのです。


振動数を上げることは、私たちの心と身体の意識を変え、無事に
新しい世界に移行することでもあります。


振動数が上がることは、エネルギーが繊細に細やかになっていくこと・・。
怒りや嫉妬や憎しみでさえ、繊細なエネルギーに変わった時には、
その表現を大きく変えていきます。


怒りを暴力で表現している時、その人の振動数は低いのです。
感情が在るのは、人としての特権です。
それを手放す必要はないのです。


ただ、私たちのエネルギーが荒ければ、犯罪が減少する事はなく、
また、それに巻き込まれることも増えて行きます。


それとは、逆に振動数が十分に高ければ、事故に遭ってもかすり傷ですんだり、
運が良いと感じられることが連続して起こります。


振動数を上げることは、心地よい人生をきること。
それがあなたとあなたの家族を守り、あなたの人生を
輝くものにするのです。


もう一度、かつての悲劇を繰り返すのではなく、
新しい美しい世界を掴み取りませんか?

どうぞ、ご自身の振動数を上げてください。
それは、決して難しいことではありません。


あなたの家族と笑顔で挨拶を交わし、抱きしめれば
よいのです。
あなたの大切な家族を大切にすることは、あなた自身を大切にすること。


それが何より、大事なのだと心に留めて置いてください。



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まほう色の瞳

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