メッセージ

今朝、私の所へ来たメッセージ。

「生きることは、遊びであり、癒しであり、愛である。
表現することは、神を体現することであり、神を体験することである。
己の存在と向き合え。己の何たるかを想い出せ。
失われた記憶、失われた魂の痛み、失われたすべてを
探り出し、いままたここに起きようとしていることの
真実を知れ。」


今朝のテレビで、「中国が衛星を攻撃する兵器を作る事に成功した」と
発表したと言うの聞き、日本もアメリカもまた、宇宙兵器を開発していることを耳に
しました。
その時点で私は、正直、あまりの人間の愚かさに、あきれ果ててしまいました。

今しも地球が崩れ落ちようとしてるこの時代に宇宙戦争なんて想定している場合か、と。
そして、同時に自分のあまりの無力さを感じて涙が出ました。


おそらくこの地球上で、この地球の危機の情報について、もっとも多くを握るのはやはり
アメリカでしょう。
そのアメリカがなぜ、地球温暖化を阻止するための京都議定書にノーを突きつけたのか、
なぜ、月への建設計画などを着々と進めているのか、その意味が分かるでしょうか?


アメリカの上層部は、おそらく、すでに地球の未来を見限っているのです。
これは民間人にはばかばかしく聞こえるでしょうが、月への移住計画は、
冗談でも夢物語でもなく、着実に実行に移されてきている、ということなのです。
私も分かりたくは無いけれど、おそらくこれは単なる妄想でもなんでもないでしょう。

冷静な頭で考えれば、かつてアメリカとソ連の冷戦時代に、核爆弾から一部の
人間だけを救うためのシェルターが開発されたのと同じ理由です。


大体、この地球がフォトンベルトという、得体の知れないエネルギー帯の中に入りこんで
しまえば、温暖化がどうの、二酸化炭素がどうの、と言っている場合で
はなくなるのかも知れないのですから、(核が暴発したりして)幹部達の一部の人間をいかに救うかを、
その人たちが講じるのは当然かもしれません。



馬鹿げていることでしょう。一般の人にとっては。
おまけに確たる証拠はありませんから、(もっとも、こう言うことが公になったら大変ですから、
ひた隠しにしますよね。アメリカ政府も)信用しない人もたくさんいるでしょう。
まぁ、それはいいのです。それが事実であろうとなかろうと。
どうせ民間人は、その移住計画には含まれていませんから。
よしんばそれが本当だとしても、私たちには何の関係もありません。
それで救われるのは、一部の人間だけなのですから。


ではなぜ、こんなことを書いているのかといえば、
この事で問題なのは、これほど地球上に大きな問題を抱えているにもかかわらず、
なせ今、宇宙開発なのか?ということなのです。


不思議だと思いませんか?


今は宇宙開発なんかよりもやることはたくさんあるはずです。
まずこの温暖化の問題に本気で取り組まねばならないし、
原油に代わる巨大なエネルギーを作り出さなければなりません。
それができなければ、この先何年かで私たちの生活はめちゃくちゃになってしまうでしょう。


それなのに各国政府は、宇宙開発に必死なのです。
色々な見方ができます。
早く宇宙開発することによって、その見つけた資源を自国のものにしようとか、
地球で作る事のできない工業製品を宇宙空間で作るのだとか・・・、確かにそういうことも
できるかもれしません。



でも、なぜ・・・?


科学が発達しても、その意識、考え方は、旧態依然のまま何も変わっていません。
だってそうではないでしょうか?
宇宙に素晴らしいものがあったとしても、それを早い者勝ちで奪い合っていいなんて、
低レベルにもほどがあります。


自然に存在するものを人間が、自分のものだと名前をつけた時、
私たちの争いは始まったのです。
その醜い争いを地球の外にまで持ち出そうと言うのです。
それこそは、愚の骨頂というものでしょう。


正直、私は人間というものがこれ程に愚かで、畏れを知らず、
醜いとは思っていませんでした。
そういう自分も人間ですが・・・。


こんな状態(レベル)で一体、どうやって新しい世界に変容できると言うのでしょう?
一体、どうやって、私たちは新しい次元へと入っていけるというのでしょうか?


今、どんどんこの世界に光が入ってきています。
光が強くなっているのです。
光が強くなる・・・、と言うことは同時に影も濃くなる、ということ。
私たちは光と闇でできています。

この肉体は、闇から生まれたもの。
この肉ゆえに、私たちは、道をはずし、道を間違うのです。
けれど、この肉のお陰で、私たちの魂は学ぶこともできます。
その両面を持つ、この肉体にあるからこそ、私たちは、学ぶ事ができ、
知る事ができるのです。


この世界に、この時代に生まれてきたことは、それぞれすべての人にとって
意味のあることです。
私たちは、一人一人、なんらかの理由と使命を持ってこの世界にやってきています。
それを、想い出してください。


一人一人は、この世界を変え、肉体を持ったまま新しい世界を体験しようと
ここにやってきたのです。
どうか、そのことを想い出してください。
あなたの中にある、本当の命に目覚めてください。


あなたが本来の自分を取り戻す時、一人一人がその自分を見出す時、
この世界に新たな光が生まれます。
その光が世界を照らし始める時、この世界は徐々に姿を変えるでしょう。
これは、一人の力ではできません。

たくさんの力が要るのです。


どうか、あなたの力を貸してください。
あなた自身が目覚めること、それがこの世界を破滅から救う道なのです。



にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。

招かれる闇

yoko162007-03-02

『世界は常にあなたの思うように動く。
あなたの意識のままに世界は変化する。
その意識に気づくか、
気づかないままに生きるか、
違いはただそれだけだ。』



私たちの人生を決めているものは、
世間の目でも誰かの言葉でも状況でもなく、
ただ私たち自身の心です。


闇もまた、私たちの心の中で生まれます。
けれども、たくさんの意識の中で様々なエネルギーは、
存在しています。


どのエネルギーを招くのも、私たち自身の意識。
私たちの心に闇を招く部分がなければ、
闇が私たちに近づく余地はありません。


『自分の心の中に何が生まれたか、あなたが何を感じ、
何を呼び込もうとしているかに気づかなければ、
知らぬうちに、心の中に闇を呼んでしまうこともある。』



そう、つまり、闇とは招かれるものなのです。
勝手に向こうからやってきて、ずかずかと
あなたの中に入り込むものではない、というわけです。


闇のエネルギーは、そこら中に存在しています。
もちろん、光のエネルギーもまた。
そのどちらを呼び込むのか、それはあなたの心が
決めているのです。


無意識に。


人は生きている間、たいてい無意識でいます。
自分の心が今、光か闇のどちらに傾いているのかにも気づかずに、
『人間』という役割を演じています。


それが実は、とても危険なことだと気づくこともなく・・・。


あなたの心が怒りや恨みや憎しみ、不安に傾く時、
あなたは自分の中に闇を呼び込みます。
それは、あなたの中であなたの感情を餌として、膨れ上がり、
元々の姿とは似ても似つかない、
巨大な怪物と化していることさえあります。



私たちは、意識的に生きる必要に迫られています。
今、世界は大きく変わりつつあり、また、この現実世界も
温暖化と地球破壊のお陰で、本当の危機にあります。



この危機を回避するには、現実的にもエネルギー的にも、
人の意識が変わるしか方法はないのです。


私たちは、今、本当の危地に立たされていて、それでいてなおかつ、
ほとんどの人には、その危機感すらないという異常な状態です。
重要な事がいつも後回しにされてきました。


それは、なぜでしょう?



この世界に不都合なことは、世界の支配者から、
常に異端視されてきたからです。
不都合なことの最たるものは何か。
もちろん、経済活動に支障をきたすことです。


つまり、経済活動が最優先されて、私たちの安全や、心の安定や
優しさや思いやりや愛、は後回し、というわけです。
何しろ、そうしたものは、お金にならないことが多いのですから。
(もちろん、それがお金に換わることなら別かも知れません。)


しかし、まずは経済です。
この社会にとって、一番大切、とされている財力こそが、
私たちの生活の一番頂点にある、というわけなのです。


けれど、私たちは本当は皆が知っています。
人として生きるために、一番大切なのは、本当はお金では無いのだと。
本当に大切なものは心の中にあるのだと。


私たちは、意識していなければ、常に闇を呼び寄せる
危険性を持っています。
『お金』が闇を持ってくるのではありません。


「どこかから誰かがあなたに闇を呼び込ませた」のでもありません。
いつも、私たちは『自分』で、招きよせるのです。



いつも自分の心に何があるのか、に常に気づいていましょう。
いつも自分の心が今、どこにあるのか、闇に傾いているなら、
それに気づきましょう。


私たちの心に闇が生まれても、その時点で気づくなら、
変化させることができるのです。


にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。

体感!オーラハーモニー

yoko162007-02-27

『体感 !オーラハーモニー&キネシオロジー

滋賀(3/18)&東京開催(3/31)のお知らせ
前回のブログにも書きましたが、今年は実際に皆さんに分かっていただくため、
と直接振動数を上げていただくためのオーラハーモニーを開催することになりました。
(と言ってるあたり、やりなさい、という声にしたがってます。^^;)



それで今回はもう、思い切って、開催するハーモニーの
内容をブログの方にご紹介したいと思います。



開催の内容は、オーラハーモニー(オーラとエネルギーの調整)と
キネシオロジーの組み合わせです。



オーラハーモニーは、私の作った造語ですので、ほとんどの方が
初めて耳にする言葉でしょう。
この世界にはまだ、私がやることになったこれを表現する言葉が
なかったので、もっともぴったりだと感じる『オーラハーモニー』と
いう名前をつけました。



声による(厳密には完全なエネルギーによる)調律を行い、
オーラの歪みを正したり、場のエネルギーを正常化させます。
(正確には、そのもつ本来の姿に戻すことを言う)



個人的なオーラハーモニーは、その人特有のオーラの音や色を
「別次元の私」が見つけ出して、その人本来のエネルギー状態に
調律するものですが、今回のオーラハーモニーの本当の目的は、
『振動数の上昇』にあります。
私が目指すものは、限りなく覚醒に近い振動数へと意識を持っていくこと。
とはいえ、いきなり、あっという間に振動数が上がって、
覚醒させるなんて、恐ろしいことは私には言えません。



と、言うのも、やはり人にはその人なりの進み方というものが
存在していますから、突然にすべての人が一定の高さに上がることが
良いとは、私は思っていません。(現時点ではまだ早いと思います。)



例えば、いつものんびりした生活を送っている人が
突然、目の回るような忙しい生活の中に投げ込まれたら、
疲れて、ばったり倒れてしまうかもしれませんし、嫌になって
その生活を投げ出したくなるかも知れません。



それでは、全く意味を成さないどころか逆効果です。
物事は早ければ良いと言うものでもありませんから、
私は、今回から行うハーモニーでは、少しずつ、その人の進度に
あわせたやり方が良いと思っています。



いきなりエネルギーのレベルが上がりすぎると、
頭痛が止まらなくなる人や、熱が出たり、腰痛に苦しんだりする人が出てきます。
ですからできるだけ、その方々に合わせたやり方、が必要になってくるのです。



そしてある意味、オーラハーモニーには、これが可能なのです。



振動数を上昇させること、それがどんな意味を持つのか、
実際にどのようにご自分が変化していくのか、それを体感してみてください。


それは、ある人にとっては、とても高揚感があり、わくわくするものでしょうし、
ある人にとっては、単に肩こりや腰痛、頭痛が軽くなるようなことかもしれません。
また、肉体的な変化よりも心に大きな変化が現れる人もいらっしゃいます。
落ち込みやすい状況から脱し、落ち着いた意識を取り戻すことも、
振動数の上がり方によっては、どれも可能です。



もちろん、どのような変化が訪れるのかは、その人次第。
あなたが何を受け取るか、変化を受け取るか否かもまた、
あなた御自身の判断に任されています。


今回のハーモニーは、あなたがあるべき姿に戻り、
本当のご自分を生きることができるようになるための
最初の一歩。


人間的には、面白く、不思議な体験をしながら、あなたのエネルギーの
レベルに、変化が現れることを御自身で理解できるよう導きます。



オーラハーモニーはそれ自体、精妙なエネルギー。
『私』という人間を通してはいるけれど、私は所詮、媒体に過ぎません。


その本当の力の源は、宇宙から来るもの。
その精妙で軽やか、しかも力強く、清冽なエネルギーに
触れてみてください。


そのエネルギーのなんたるかが理解できなくても、
きっとあなたの心に何かが伝わるはず。
なぜなら、私という媒体を通して、ハーモニーは、あなたの魂に
直接響くのですから。



またキネシオロジー(筋力反射を使ったワーク)は、今私が始めようとしている、
エネルギーワークの「いろはのい」。
それは、きっかけの一つにすぎません。


しかし、それを使うことで私はあなた方に、別の世界を見る目を
開くお手伝いをする事ができます。



あなた方が確固とした世界だと信じているこの世界がいかにもろく
あやふやであるか、目に見えない世界が、実はいかに現実的にそこに
存在するのかを、私はキネシオロジーを通して、あなた方の五感に訴えかけるでしょ
う。



また、そのことにより、少しずつあなた方の持っている心の力は目覚め始めます。
私のところへやってこられるお客様のほとんどは、最初は『精神世界』の事もろくに
知らない方がほとんどです。


けれど、その方々の目はどんどん開かれてきています。
心と身体が開く度に、もう一つの私たちの感覚(シックスセンスと呼ばれるもの)
は研ぎ澄まされていきます。



それは危険を回避したり、意識的に自分に必要なことを選び取るための
大きな力となります。
何があなたにとって、本当に必要なのか、何があなたを本当の自分へと導いて
くれるのか、あなたの五感を磨くことで、誰かに頼ることなく、
あなた自身が選び取ることができるようになるのです。
もちろん、それには訓練が必要です。



新しい世界で新しい観念の中で自由に生きることができるよう、
その概念を持ってください。
今回のハーモニーはあなたにとって、もう一つの新しい世界を
あなたに開くことでしょう。



また、今回行うキネシオロジーとは、腕の筋力の反射を利用して、
単純に自分に合うものを見つけ出したり、
合わないものを探ったり、生活のあらゆる時に利用できる
キネシオロジーの面白さ」に触れていただこうと思います。



それを使うことによって、あなたの持つオーラの広がりや色、チャクラの状態、
あなたの抱える悩みの本質がどこにあるのか、
またあなたにとって本当に必要なことは何か、など、あなた自身が答えを出せるよう
に、簡単なキネシオロジーの使い方をじっくりお教えします。


今回は、来られる方々の状態に合わせて、振動数を上昇させる
オーラハーモニーを行います。
「振動数が上昇すること」を肌で感じ、その変化を認識してみてください。



キネシオロジーを使うことで、目に映らないオーラや手で触れられないものの存在を
あなたご自身が認識できるよう、指導いたします。


キネシオロジーは、運動機能学と訳され、アメリカでは大学の学部として
存在するほどの地位を確立していますが、
日本ではまだそれほどの知名度はありませんが、
この考え方を医学や治療に用いるところも出てきました。


今回、お教えするキネシオロジーは、そうした医学の知識にかかわる
難しいものではなく、日々の生活に役立ち、学校でも職場でもこれを試してみれば、
受けること間違いなし!の楽しいワークです。



今回は、面白いことを体感したい方、キネシオロジーのキを知りたい方、
ご自分のオーラが何色かを知りたい方、
自分がやりたいことが何か確認したい方、様々な悩みに自分で答えを出しましょう。
キネシオロジーを使うことは、それを知る事なのです。


今回のハーモニーは、簡単なキネシオロジーの習得と
オーラハーモニーの体感が目的です。
また、実際に振動数が上がることで、身体も心も軽く楽になっていきます。
それをぜひ、身体と心で体感してみてください。


また当日は、お薬や、サプリメント、石、アクセサリー、時計、お化粧品など、お持
ちください。
ご自身に合っているかどうか、それが本当に必要かどうか、
確かめることができます。


**************************************
滋賀会場
2007年3月18日(日)「体感!オーラハーモニー&キネシオロジー

日  程 2007年3月18日(日)
時  間 午前10時から〜午後4時終了予定。(お昼は12時から1時間休憩)
会  場 JR南草津駅徒歩1分(JR京都駅から20分、JR大阪駅からでも55分の距離です。)
     (詳細は、お申し込み後にご連絡させていただきます。) 

参加費  お一人20,000円 
     お二人以上でお申し込みの場合は、お一人15,000円
    (3人以上まとめてのお申し込みOK)

持ってくるもの ペットボトルまたは水筒のお水(飲み水)をご用意ください。


**************************************


**************************************

東京会場
2007年3月31日(土)「体感!オーラハーモニー&キネシオロジー

日  程 2007年3月31日(土)
時  間 午前10時から〜午後4時終了予定。(お昼は12時から1時間休憩)
会  場 東京都内を予定しています。

参加費 お一人20,000円 
    お二人以上でお申し込みの場合は、お一人15,000円
    (3人以上まとめてのお申し込みもOK)

持ってくるもの ペットボトルまたは、水筒の水(飲料水)をお持ちください。

**************************************

*お申し込みはHPからお願い致します。http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/event.htm


滋賀と東京は一応同じ内容となっておりますが、その時のお客様の状況、
理解度、エネルギーの内容などによって、
それぞれの会場で全く違った内容になる事が予想されます。
その時々の状況に応じ、臨機応変、どんな面白いことが飛び出すかは、
ふたを開けて見ないとわかりません。(^^)



以前からおいでくださっているお客様ヘ
大変申し訳ございませんが、これからのお申し込み後のご入金は、
お振込みでお願い致します。
 

初めてハーモニーにご参加下さるお客様へ
お申し込みは、会場名(滋賀または東京)、お名前、メールアドレス、郵便番号、
ご住所、連絡先のお電話番号を明記の上、メールにてお申し込みください。
またお振込みは、こちらからのお返事メールをお受け取りになってから、
お知らせするお振込み先へお振込みください。

それでは、ご縁のある方のお越しをお待ちいたしております。


にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。

身体で知るオーラの不思議。

yoko162007-02-21

よく私が使う「エネルギー」とは、たいていの人にとっては、
いわゆる目に見えないもののことです。


オーラや、チャクラと呼ばれるものもまた、一般の方にとっては、ほとんど
なじみの無いものでしょう。


人としてのものの見方をすれば、オーラはすべての人に備わっているものです。
ですから、オーラが無い人はいません。
もしオーラのない人がいるとすれば、その人は死んでいます。(笑)



なぜならオーラとは、人が思うような「身体の外をとりまく色」ではなく、
実はその人の肉体も含めた、その人自身だからです。
いつも、こう言うことを誤解なく書くのは、難しいなぁ、と本当に思うのですが、
そういう私自身、この事に気付いたのは、ほんの5年ほど前です。


その時までの私は、自分が見ている、人の周りにある何か(オーラ)を
見たり、そこに何があるのかを読んだりすることはできましたが、
その実、それが本当の意味で何であるのか、については全く認識
できていませんでした。


その事実に気づくその瞬間まで。


本当に何でもないある日のこと。
私は、いつものように家にある等身大の鏡を磨いていて、ぴかぴかになったか
どうか、鏡を覗き込んでいました。


そして、そこに自分のオーラが映っている事にふと気づき、何の気なしに
自分のオーラがどういう状態にあるのか、見ようとしました。


すると突然、自分のオーラが7層(その時点では7層に見えました。)に分かれて
おり、「それぞれの外側の層がその内側の層を包み込んだ自分自身なんだ!!」
と、気づいたのです。


それは、唐突にそれが真実だと知った瞬間であり、頭でこうだと理解できるものでは
ありませんでした。
しかしそれは紛れもない真実であり、私は7層に分かれて見える様々な高次の
自分というものに突然、遭遇したのです。


この時の驚きは、言葉に現わすことができません。
しかし、人の肉体を包んでいると思っていたオーラが実は、真の自分を見ていたのだ
と知った時、私は自分の世界が変わるのを実感しました。



私たちの肉体の外側(にあるように見える)のオーラは、本当は私たちの肉体も含め
た一つ一つ違う次元の別の肉体(そういう見方をすれば)であることに
突如気づいてしまったのでした。


言ってみれば、入れ子の箱のような状態だと思ったら、分かりやすいかも知れませ
ん。入れ子の箱と違うのは、外側に見える高次の自分は、それよりも低い位置に
いる自分をすべて含んでいる存在だ、ということでしょうか。



ああ、でもこう言うことをいくら書いても、なんだかとてつもなくもどかしい
気がします。
言葉では、私の言いたいことの何分の一も伝えられないことが分かるからです。


簡単に言えば、オーラは私たち自身であるから、オーラの色が曇っていれば、
それは同時に私たちの肉体にも心にも影響を与えるのは「当たり前」だという
ことなのです。



なぜ今、私がわざわざ、本業であるオーラのことを書いているのかと言えば、
皆さんがアセンションするために、とても必要な知識であり、意識だからです。
アセンションと、聞きなれない言葉を使っているのは、あくまで私にとっては
方便であり、本当は、新しくなっていく地球にいかにしたら、身体と心が
拒否反応を起こさずに馴染んでいくことができるかを、ここに書いているのです。



新しい地球という考え方が馴染めず、それを否定したり、
笑いものにしたりする人たちがたくさんいる事は、知っています。
私自身、こんなメッセージをもらったり、自分がこんなことに携わったりして
いなかったら、本気で言ってるの?聞き返していたでしょう。(笑)


しかし、それは否定しても拒否してもやってきます。そして、本当はもうここに
やってきています。
あなたの周りでもあなた自身にも、それははっきりと起きているのです。
ただ、人が自分が見たものが何かに気づかないのと同様に、まるで何事もなかった
かのようにほとんどの人が振舞います。
また、本当に気づかない人たちもたくさんいます。


けれどそれは、起きていないのではなく、それらの出来事やサインに
ただ気づいていないだけなのです。認識がないのです。


概念がないから、気づかないのです。
私たちが学校で習ってきたことのほとんどは、この肉体を動かす知識ばかりです。

学校では私たちの肉体よりもさらに大きな位置を占めている、
私たちのオーラや魂については、何一つ学ぶことはできません。



それは新しい世界に突入しようとしている今、たくさんの人にとって大きな障に
なるでしょう。
また、知らないでい続ければ、突然降ってわいたようにそれが真実だと知った時の
ショックは想像にあまりあります。


新しい世界では、この認識『私たちは魂である。』という認識が、
確実に必要になります。


私たちは、魂です。
この認識は、私たち一人一人の生き方を変えて生きます。
私たちは、肉体を生かすためだけに生まれたのではないこと。
魂が、喜びも苦しみもたくさんの体験をするために、この世界にやってきたこと、
そのことを想い出せば、本当に自分がやるべきことを思い出せるでしょう。


けれど、そのためには、まず自分が魂だったことを想い出さなければなりません。
人は面白いもので、頭で理解したと思っている間は、理解することができません。
お腹に落ちてきて『ああ、わかった』と思った瞬間、本当の理解は生まれるのです。
頭でああでもない、こうでもないとこねくり回している間は、多分、
私たちはたいした事はわかっていません。


どうしてかって?


人は、本当は広大な存在で、実際に私たちの顕在意識が認識できるものは、
ごく僅かに過ぎないからです。
お腹で、「ああ、そうか」と思ったら、頭で考えたことより遥かに深遠な
事が分かっているものなのです。



さて、本題の「身体で知るオーラの不思議」ですが、
皆さんは、オーラを『見えるもの』として、認識していますよね?
でも、前述したように、オーラとは、私たち自身。だから、本来は、
かすみでも、手で触れられないものでもありません。


おまけに私たちは、実際自分のオーラや他人のオーラにいつも触れているのが真実。
だから、他人がたくさん側に来ると身体的に疲労したりするのも、この影響なのです。



このブログで、たくさん振動数を上げましょう。
と言ってきましたが、言葉でどれほど書いても、どれほど言葉を尽くしても
伝わらないことって、絶対あるなぁ、といつも実感させられます。


だから、私は今年から、実際に皆さんに体験していただこうと思いました。
そして、はっきりと一人一人が「振動数が上がるってこう言うことなんだ!!」とか、
頭では理解できないけれど、目に見えないことは存在するんだ!と
お腹で理解してもらうために、「百聞は一見にしかず」というのを実践することにしました。



人は頭で理解したことはすぐ忘れます。
でも身体で覚えたことは、不思議なことにずーっと忘れないものです。
ですから、皆さんに見ていただきたい、そして、頭では分からなくても、
何かがある、ということを知っていただきたいのです。



そこで、今回からこれまで、やっていたオーラハーモニー(オーラの調律)に
キネシオロジー(筋力反射を利用したツール)を加え、オーラやエネルギー、また
振動数の上昇が実感できるセミナーを開催することにしました。
オーラやチャクラを知るだけでなく、自分の身体の状態や、合っている
アクセサリーや食べ物など様々な疑問に答えることができるツールを
手に入れるお手伝いもします。
そのツールには、お金はかかりません。意識さえあればいいのです。



詳細は、私が管理するエンジェルサポートのサイトに記載しています。
http://www.h6.dion.ne.jp/~ange16/event.htm

興味をお持ちくださった方は、こちらをご覧下さいね。


にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。

あるがままに

yoko162007-02-19

今朝、友人あてにこんなメッセージを受け取りました。
このメッセージは、普遍的にすべての人に当てはまるな、
と思うので、ここに公開させてもらおうと思います。


『落ちた時は、落ちたことを楽しむ。
上がった時は、上がったことを楽しむ。
あるがままでいれば、流れができる。
逆らえば、流れを止める。

流れとは、(人生の)歩き方、生き方、愛し方。
あがかず、焦らず、己を受け止めよ。
落ち着けば、その先にこそ、まことの光がある。』


この言葉の意味を私はこんな風に捉えました。


「人生は、波形を描く、波のようなもの。
本当に美しい波形は、上がっては下がり、下がっては上がる。
そりの繰り返しが美しさを呼ぶ・・・。


人は、強烈に失敗を恐れていますが、
本当は、人生の美しい流れは、落ちたり上がったりするもの、
その両方の体験があって、初めて人生は美しくなるのだと
思います。


落ちることを恐れる必要は無いのです。
「人生は波だから、必ず落ちる時と、上がる時がある」と
知っていれば、落ちた時にあがかず、上がった時に、
上に上がることだけを目指さず、落ち着いていられるのだと思います。
落ち着いた、冷静な目で物を見れば、
何が本当か、見えてきます。


焦る心でいる時、決して人は本当の答えを
見つけ出すことはできません。


本当の光は、落ち着き、冷静な目で見て初めて
見えてくるのです。」


すべては大切な、魂の体験なのです。
私たちは、ただ肉体を生かすために生まれたのではなく、
魂の大切な体験のために、ここにいるのです。


焦らず、慌てず、落ち着くまでは、決して動かない。
それが、上手くいく秘訣かも知れません。

にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。

本物の幸せ

yoko162007-02-11

って何でしょう?


幸せって、どこから来ると思いますか?


幸せって、どこかよそからやってくると思っていたら、
人は『青い鳥』を探して、ずっとどこかをさまようことになります。


でもね、幸せって、自分世界の外にはないんですよね。
『幸せ』は、自分で作り出すもの、生み出すもの、なんです。


メーテルリンクの「青い鳥」のお話は、とても秀逸だと思います。
子供たちは自分たちの幸せを探して、冥界までも旅をするけれど、
本当の幸せは、自分の家にあったというお話。


この場合、自分の家は、自分の心です。

このお話の中で子供たちは、幸せを探して様々なところをさまよいます。

精神世界を旅する人たちも様々な世界を旅します。
中には、実際、自分を知りたくて世界中を巡っている人もいる。


でも、本当の自分や本当の幸せは、自分以外のどこを探したって、
見つかりはしません。
だって満足は、あなたの心の中にしかないんです。

どこかに自分の幸せが転がっていないかと、探してみたって、
自分の外には、何もありはしないんです。


なぜか?

その答えはあなたが持っています。



設問*「あなたは、身体のどこ、心のどこで幸せを感じますか?」



さて、あなたはこの設問に答えられたでしょうか?

あなたが幸せを感じる器官は、身体や心のどの部分でしょうか?


そう・・・、これが答えです。


「あなたの幸せ」は、あなたの中にしかない、ということ。
あなたの身体や心の中にしか、幸せや不幸を『感じ取る』器官は存在しないんです。
他人の心の中に、自分の幸せを感じる事はできませんから。


つまり、あなたが感じる幸せや不幸の正体は、
『あなたの意識がそうだと決めたもの』なのです。


わかりますか?

いつも「あなた」だけが、あなたの幸せ、不幸せを決めているのです。

あなたが不満なのは、あなたの置かれている「状況」のせいではありません。
あなたが自分の状況を「不満」だと『決めた』からそうなったのです。


自分を『不幸』だと決めたら、あなたは不幸だし、
自分を『幸せ』だと決めればあなたは幸せなのです。


この単純な物事の構造を理解できるでしょうか?


これはシンプルですが、非常に重要なことをお話しています。
この事を流してしまう人は、まだ本当の幸せを掴む用意ができていません。

幸福も不幸も、『自分が作りだすもの』だと言うことを、
はっきりと認識してください。
これは、非常に重要なセンテンスです。


私たちは、いつも自分の状況を常に「自分が作り出して」います。
そのことに気づきましょう。

この事に気づかずに、誰かを羨んだり妬んだりすることは、
自分の振動数を下げてしまうことです。
そんなことで振動数を下げていては、この先の新しい世界には
決して行くことはできません。
また、誰かのせいにしたり、人の不幸に付き合っている間は、
あなたは幸せにはなれません。


もしそんな思いを持っているとしたら、すっぱりと綺麗に捨てましょう。
その手の感情に振り回されている間は、
『私は幸せになりません。』と宣言しているようなものです。
人のため、と思っているなら、それは大きな勘違いというものです。
あなたが一緒に誰かと不幸になっている間、その人とあなたは共に
幸せになる事などできません。

もし、あなたがその人たちと共に幸せになりたいと願うのなら、
今すぐ、同情ごっこはやめましょう。
あなたがモデルになって、振動数を上げ、変化すれば、
自動的にその人たちのエネルギーも変わります。


素直であること。
これは、幸せになるためには、大変重要なキーワードです。


私が何を言っても、受け取りたくない人は『でも・・』という言葉を繰り返すばかりで
受け取るつもりがありません。
私の言葉を受け取らなくても、自分で幸せを掴んで見せる!
というのなら、それはそれで頼もしい。
私は応援します。


でも、うだうだ言って、人や自分の不幸を見せびらかしている間は、
何一つ変わりません。
厳しいかもしれませんが、今ここでいらないものを手放さないと、
あなたはもっと大変な思いをする事になるのです。



もうすぐ手を離していても、幸せになれる世界がやって来るのです。
でも、本当の素直な自分を出してあげないと、むしろ苦しい世界に
なって行きます。
そんな意味のない感情はさっさと手放しましょう。


そして、『私は幸せになる!!』と宣言してください。


そして、いかにしたら自分を幸せにできるか、工夫しましょう。
自分の持っている幸せを感じる感受性を持ってください。


あなたが世界一不幸なんて事はまずありません。


世界を見回せば、親兄弟を目の前で殺されて、自分は強姦されて
その後無理やり兵士にさせられる子供だっています。
この現代ですら、生まれた時から死ぬまで奴隷として生きる人たちがいます。


毎日、命の危険に脅かされて生きる人々・・・、食べるものが無くて
子供が餓死していくのを見ているしかできない母親・・・。

あなたは、本当に不幸でしょうか?


私たちは、自分の不幸を数え上げる癖をもっていますが、
同じ癖なら、幸せを数え上げる癖を作りませんか?


塵のような幸せでも積もれば山のような幸せになるんです。


塵のような幸せ・・。でも、すっごく意識して幸せを探ってみるんです。
自分の不幸なところを探すなんて、勿体ないことはやめにして、
自分の持っている幸せを、何でもいいから探し出してください。


幸せと不幸って、びっくりするほど相対的なものだから、
視点さえ変えれば、人は幸せにも不幸にもなれます。


ある日、テレビで一生を奴隷として生きるように運命づけられている
少女のドキュメント番組をやっているのを見ました。
生まれたときから死ぬまで、先祖が抱えた借金のために、
親もそのまた親も、もちろんその少女も、地主のもとで
朝から晩まで働かされているというものでした。


この人たちは、一生その農園で働き、学校にも通わないため、
おそらく自分たちの借金がどのくらいあるのかさえ知らないままでしょう。
だから、どのくらい働けば、借金が返せるかすら知らずに、
一生をそこで過ごすのでしょう。
風邪を引いても、病気になっても、借金が増えてしまう。
だから、どんなに大変でも『病気にならないでおくれ』と彼女の母は
懇願していました。


ここだけを切り取って見ると、この少女はなんて不幸なんだろう、と
思います。自分の時間も自由もなく、教育も受けられず、
何一つ自分のやりたいことをやる自由もお金もない。


確かに、私たちの社会の規範から見たら、彼女は不幸な少女かもしれません。
けれど私は、この番組を見ていて、不思議と彼女がかわいそうだとは
思えませんでした。


彼女は、ずっと大変な思いをして働いていたけれど、ずっと家族と共に
過ごしている彼女の顔は、暗くはなかったし、その生活に
不満を抱いている様子もありませんでした。


何よりも、家族と一緒にいられる事をとても幸せと思っている様子でした。


唯一、その番組の中で彼女が涙を流したのが、一週間だけ、家族と離れて
違う場所で働かされた時でした。
いつもより、仕事そのものはずっと楽そうに見えたけれど、
彼女は、家族と一緒にいたい、家に帰りたい、とこっそり泣いていました。


私はそれを見たとき、この少女は、日本で教育は受けられるし好きなものも
買ってもらえるけれど、学校に馴染めなかったり、いじめられたり、
家に居場所がなかったりする子供たちよりも本当に不幸だろうか・・・?
と。


こんなに家族が愛し合い、協力し合っていられるのは、
この家族が、こんな境遇にあるからではないかしら。
こんなに強い愛情で一つになった家族といられる事は、
それだけで大きな幸せではないかしら・・・。

もちろん、この意見に依存がある人はたくさんいるでしょう。
人権の面から見れば、当然ひどい話です。


けれど、何が幸せなのか、一体誰が決めるのでしょうか?
かつて、アメリカの大統領リンカーン奴隷解放した時、
奴隷達は喜ばなかったといいます。
奴隷達は、これから一体どうやって生きていけばいいのか、と
怒りをぶつけたと聞きました。

それを知った時、学生だった私は驚きました。
私の認識では、奴隷のようなひどい扱いを受ける事から解放されたのに、
喜んで感激こそすれ、怒るなんて考えられないことだったからです。


本当の幸せって、つくづく他人が決めるものではないのだな、と
強く思います。

そして、誰かや何かと比べる類のものでもない、と。


あの人より私の方が幸せ、不幸せ、という認識のもとに生きているなら、
その人は、一生本物の幸せを手に入れる事はかなわないでしょう。


なぜなら、幸せは、その人の心の中でしか得ることができないものだから。
人と比べることで自分の幸せを確かめているなら、その幸せは残念ながら
にせものです。


それは物を手に入れたときに感じる一時的な満足にすぎません。
満たされている時には、幸せだけれど、足りない時は不幸。
それは、貧しい幸せです。
その幸せは欲望(エゴ)と紙一重です。



そう考えると、あの少女は、私たち物質的な豊かさを享受する者たちよりも
遥かに大きな豊さを心の中に持っているのではないでしょうか?


私たちは、自分の幸せをもっとしっかりと見つめなおす必要があると思います。
物理的な満足ばかりを追い求めていても、私たちの心の中が満たされることは
ありません。

あなたが裸になって何も持たなくなった時、あなたに何があるか考えみてください。


物ではない何かがあなたの元に何一つ残らないなら、あなたは人生の
本当の成功者とは言えないのです。
もはあなたに肩書きがなくなっても、あなたを大切に思ってくれる人が一人も
いないなら、あなたは悲しい人生を送っています。


逆にあなたが今、人生に失敗したと感じていても、あなたを支える家族が
そこにいるなら、あなたは決して敗者ではありません。
なぜなら、あなたは人生で一番大切な『愛』という贈り物を
手にしているから。



本物の幸せを手に入れてください。
自分が今のままで幸せな理由を、いっぱい見つけましょう。

あなたが本当に望むことは心から自分に素直になることでしか、
手にする事はできません。
どうか、そのことを知っていてください。


苦しみを作り出すその手を、幸せをつむぐ手に変えましょう。
今すぐ、そう「決意する」だけで、あなたは幸せの創り手に
なれるのです。

にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。

魂の視点

yoko162007-02-09

どうしたら魂の声が聞こえるか?
との質問をいただきました。

その質問に対する応えは一つではありません。

でもどうやれば魂の声を聞くことができるのかを
議論する前に、皆さんに知っていただきたいことがあります。


それは『魂の視点』についてです。


『どうすれば魂の声が聞こえるか?』という質問は、
肉を持った人としての捉え方です。


まず、魂の声を本当に聞こうとするならば、私たちは
魂の視点を持つ必要があります。
なぜなら、魂からの声には、肉体の意識からは計り知れない理論が
そこに展開されるからです。

「魂の視点」魂の部分からの物の見方が
分からないうちは、魂の声が聞こえてきても、それを理解することは
難しいでしょう。

なぜなら、それは私たちに人間にとっては、計りがたい
認識を伴うもので、逆に難しく感じるものだからです。


かくいう私自身も、この魂の視点を得るまでは、
正直この様々な存在からやって来るメッセージの意味が全く理解できずに
何度も無視し続けて、挙句の果てに死にかけたことさえあったのです。


けれどもある日、この魂の視点に気づいてからというもの、
物事をそうした魂の視点から捉えるように、
意識し始めました。


魂の視点は、肉体の私たちの感覚で捉える事は出来ません。
私たちが持つ常識も、かなぐり捨てる必要があります。
なぜなら、魂の視点はある意味『神の視点』であり、
肉体を持つことによって生じる様々な問題や都合から物事を
考えていたのでは、全く理解不能な事だからです。



これを理解するには、まず、私たち自身が意識を
拡大させる必要があります。
些末なことにのみ、心が囚われていては、
決して知ることができませんし、
またその意味を理解する事もできません。


また、良いとか悪いとか言う二元的な考え方も、
この地点では意味を持ちません。
なぜなら、それは肉体を持つ私たちにのみ意味を持つものであって、
肉体を持たない魂にとっては、それは問題でも何でもないからです。


そう、つまり肉体的な人間の『都合』は一切考慮されません。
そこがこの視点の辛いところです。
また、そこが私たちの現実に左右されない普遍的な部分でもあります。


魂の声を本当の意味で聞くことは、実はとても勇気のいることです。
その真実の意味を知るならば。


あなたには、その勇気がありますか?




ここには、文章として書いて行きますが、あなたはこれから別の世界に
足を踏み入れることになります。
この先を読むのならば、はっきりとその勇気があるかどうか、
自分自身に尋ねてください。


別の世界の別の言語を翻訳した言葉を、あなたが理解するためには、
本気の気持ちが必要です。


もしあなたにこの時点で、その本気の思いがないのならば、
この先を読む必要はありません。
この場でお帰りください。


真剣な気持ちを持ってこの先を読もうと思う方だけに、
言葉をつなぎます。
そうでなければ、全く意味を成さない言葉の羅列に
なってしまうからです。



これだけ書いてもまだ、帰る気にならず、ご自分の心に
「本気」という言葉を聞いた人だけ、この先をお読みください。





それでは、続けましょう。




『魂の視点』というものの見かたは、あなたの人生を一変させます。
魂の声はとてもシンプルです。
そして、とても奥が深い。


単純な言葉にああそんな事か、と思う方は、
その本当の意味を何も理解していません。


神の言葉、天使の言葉、高次元からの情報・・・。

次元が高ければ高いほど、その内容は研ぎ澄まされていてシンプルです。
私たちにどんな解釈もできるような言葉でやってきます。


正にそれは、私たちの意識次第でいかようにも取れる内容です。
と、言うことは、それは一見シンプルで非常に簡単であればあるほど、
私たちは、その言葉の意味を知ることが難しいのです。


なぜならば、私たちは常に自分の理解している事がすべてだと
勘違いしていますが、私たちが理解していることと、
発している側の認識とは、天と地ほどの差があるのです。
それが、エネルギーレベルの差です。


ここに書いている事に対しても受け取り方は千差万別です。
それぞれの人がそれぞれのレベルで内容を受け取るからであり、
その人の意識が何を受け取るかを決めているのです。


その単純なことが、本当に分かるのは、
自分がいつも別のレベルになった時です。
新しいステージに立ったとき、初めてそれと認識できるものなのです。



それでは、私が初めて『魂の視点』を得たときの
お話をしたいと思います。


私の友人があるときこんな話をしてくれました。

昔、日本に原爆が落とされた時、本当はアメリカは最初、
広島と北九州に落とすつもりだったらしいのです。

ところが、なぜか原爆は北九州ではなく、長崎に落ちてしまいました。

その理由が実は、北九州に原爆が落ちてしまうと、死んで救われない魂が
膨大な数になってしまう。けれどたくさんのキリスト教徒が住む長崎の
人々ならば、意識が高いので、死んでも魂が地獄に落ちる心配はない、
ということで天使たちがそちらに落とすように操作したのだ
という話でした。



最初にその話を聞いた時には、そんな操作するくらいなら、
何で原爆を落とすのを止めてくれないのだろう、と思いました。


けれど、もっと高い視点から物を見ると、その時点で原爆が落ちていなければ、
日本はアメリカに降伏することはせず、日本中が壊滅するまで
戦っていたかも知れなかったのです。


そうすれば、その被害は、長崎や広島の比ではなく、
日本の存続そのものが
怪しくなっていたかも知れないのです。


私はその時、その話は、魂の視点から物を見なければ、
全く理解できないことに気づきました。


人間的には、そこで止めてよ、と思います。
けれども、そうすれば、日本そのものがなくなる危険性をはらんでいます。
どちらを取るのか・・・。
それが、人間の私たちに決められるでしょうか?


もしあなたが最高司令官なら、どうしますか?


これが意識の高さの問題なのです。
あなたの決定はそのまま、あなたの意識の高さです。


長崎を助けようとして、日本を壊滅に追いやるなら、
今、長崎を救うことには意味がなくなってしまうのです。


魂の視点から物を見れば、この謎は解けてきます。
魂は死ぬことはありません。


そう、この、「死なない」と知ることが重要なキーポイントです。
死なない魂から見れば、人々が死ぬことはそれほど大きな問題ではありません。

例え、この言葉が人間的に衝撃を与えようとも、それは事実です。
なぜなら魂にとって、肉体は一時の乗り物であって、それがすべてではないからで
す。


つまり、ここで死ぬ人々が「どんな状態であるか」が、
とても重要になってくるのです。


魂が肉体を纏うのは、魂を成長させるため。
魂の学びのためなのです。

ならば、この長崎に落ちた原爆は、長崎の人々の魂の
成長に寄与しているのです。
この意味を理解できるでしょうか?



私たち人間は、肉体を持ったことで、その肉体を生かすことにやっきに
なってしまいます。
そうすると私たちは、肝心の、魂の成長をするという大切な懸案を
忘れてしまうのです。


最初に断っておきますが、私たちの本質は魂です。
肉体とは、この世界に留まって魂を成長させるための
一つのツールなのです。


魂の視点・・、つまり、高い視点からものを見ること。


肉体の病気は、必要だから起きてくるのです。
問題も必要だから引き寄せられてくるのです。
何かが起きた時、それは意味もなくあなたに起こったのではありません。
必ずそれには意味があり、そこにはあなたの学びが存在するのです。


病気を治そうと努力する時、それ以前になぜ、その病気になったのか、
その原因を考えてみてください。
どんな意識があなたのその病気を作ったのか、どんなストレスがその病気を
あなたに引き寄せたのか、そのことを知る必要があります。

それは、はっきりとあなた自身が学ぶべき学びなのです。
もしその原因を知らないまま、痛みがなくなったり、病気が治ったとしても、
放っておけば、再発したり別の病気になるでしょう。


それは本当の原因が取り除かれていないからです。


いいですか、魂は死なないのです。
あなたは永久に生き続ける存在なのです。
あなたに起きるすべての事は『魂の学び』なのです、


どのように学ぶか、学ばずに後回しにするか、
すべてあなたが決めています。


あなたに何かが起きた時、まず、落ち着いて深呼吸してください。
そして、あなたに起きた事について、まずは「善悪の判断をつけない」と
意識してください。


そして、そこにどんな学びが隠れているのか、しっかりと見てください。
それを理解することが魂の視点を持つことです。


そんなに簡単に魂の視点を手にすることはできないかもしれません。
けれど、いつも自分に起きる事を中立の立場でものを見る癖を
つけてください。

そして、その視点から冷静に感情的にならずに、しっかりと
「目を開けて」みてください。


例えば、こんなことです。

あなたが誰かと喧嘩します。
するとその時点であなたは、すっかり怒りのとりこになっています。
その時のあなたは、相手が悪い!!と思い込んでいます。


けれど、しばらく経ったら、少し落ち着いて考えてみてください。
相手にやり返す前に、その怒りは実はどこから来ているかに
気づいてください。
相手は、あなたに分かって欲しくて怒っているのです。
罵倒しても、あなたに理解されたいのです。

くるっと視点を変えてみてください。


あなたが相手の心を理解しようとする時、
相手が何を言ったかに囚われないで下さい。
その些末なことに囚われてしまうと何も見えなくなります。

相手の言葉ではなく、相手が何を訴えようとしているのか、
喧嘩の本当の理由を意識してください。
それは、相手が何かを言ったから、とか、自分の言動がどうだったから、
とか原因はそんなことにあるのではないのです。


相手の心の中にある意識に、あなたの言動が触れたのであり、
あなたの意識に、相手の言動が触れたのです。


それが人の心に怒りの炎を燃やしたり、
感動の灯りを灯したりするのです。


魂の視点・・・、それは、あなたが可能な限り、高い視点を
持った時に知ることができるようになります。


その時、その視点があなたにとって都合がいいとは限りません。
しかし、その視点を持つことで、あなたは大きな学びを
学び取ることができるようになります。


そして、むやみと恐れたり、怒ったり、
動揺したりすることが大きく減っていきます。
また、心からの大きな歓びを得る事も可能になります。


魂の視点は、あなたが「自分は死なない、人も死なない」と
本当の意味で理解し、死なない自分からの発想から始まるのです。


つまり、あなたが本当は自分が魂だったと気づくところから、
その理解は始まるのです。


魂の視点を手に入れてください。


それは、あなたの5次元へのパスポートです。


そして、そのことが自分の魂の声を聞く、
一番の早道なのです。

にほんブログ村 哲学ブログ スピリチュアル・精神世界へ
ブログランキングに参加しました。クリックお願いします。

人気blogランキングへ
今年は拡げる年、との事でこちらもクリックお願い致します。