してはいけないこと

yoko162007-02-08

エネルギーを扱う時、決してしてはいけないことがあるのです。

それは、勝手にその人のエネルギーに干渉すること。
たとえ望まれても、その人の魂が望んでいない時に
その人のエネルギーに干渉すれば、それは必ず、その人と
干渉した人にしっぺ返しがやって来ます。


宇宙の法則である、「自分が出したものが自分に返ってくる」
というあれです。


その人の魂の了解なしに、勝手にオーラやエネルギーフィールドを
いじることは、実はとても恐ろしいことなのだと覚えていてください。

よくどこかのヒーリングを習い始めたばかりの人に見かける、
知らない人を勝手にヒーリングする姿。


あれは、失礼ながら何も知らない小さな子供が、ナイフを振り回すのと同じ
位い恐い行動です。


今、スピリチュアルという言葉が一人歩きを始めています。
それを知られることはとても重要なのだけれど、それをもて遊ぶことは、
とても危険なのです。


エネルギーはたいていの人の目には映っていません。
だからと言ってないのでも、映像のように実態が無いのでもないのです。
むしろ、それは私たちの生活の本当の奥底に根ざし、人々も知らない間にその能力を使って
生活をしています。
それでいて、人々は自分が何をしているか、全く知らないで生きているのです。


今、地球は変化し、私たちは実はすでに3次元から4次元の境に生きています。
敏感な人なら今まで感じる事の無かったことを感じはじめているはずです。
それが何を意味するか・・、それは私たちの限定されていた能力が開き始めている事をも
意味しています。



今、地球は5次元に移行しようととしていると書きましたが、
そもそもこの地球も以前はもっと次元の高い場所でした。
けれど、その地球に住む私たちのレベルがあまりに減退してきたために、
惑星ごと、3次元へと次元移動してしまったのです。


3次元の世界は、完全な物質の世界です。
物質の世界では、物事が宇宙エネルギーよりも遥かに荒い振動数で振動するために、
自動的に私たちの能力は限定されていきました。



本来、神と一つであるべき私たちの能力は実は無限です。
しかし、この世界において、それは絵空事のような現実があります。
それはなぜか。

私たちの能力が限定されたのは、二つの理由がありました。
一つには、次元が変化したためにその本来の能力を発揮することが可能ではなくなったこと。
もう一つは、振動数が荒くなったせいで、使え無いエネルギー状態に
なったということ。



私たちの過去の振動数と現在の振動数を例えて言うなら、
マザーテレサ暴力団くらいの違いがあります。


目には見えないからと言って、皆さんが本当に何も見えていないのかと言えば、
実はそんなことはありません。
本当は、とてもよく見えていて、しっかりと見えない世界の真実を
無意識に感じている事がたくさんあります。



例えば、人のオーラ。
よくあの人にはオーラがあるとかないとか言いますが、オーラのない人はいません。


『オーラ』を特別なものだと思っていたら、大間違いで、
存在するすべての人にはオーラがあります。
なぜなら、『存在』こそがオーラそのものだからです。

オーラについては、また別の機会にお話するとして・・。


人はオーラは「見るもの」と思っていますが、皆さんたいてい、
しっかりと感じている事が多いものです。

例えば、知らない人が自分の側にどんどん近づいてくると、何か嫌な気持ちになったり、
近づかないで欲しいと思ったり、逆にいい感じがしたりするのを
経験したことはありませんか?


それが実は、オーラを感知している証拠なのです。

人のオーラは大体人にもよりますが、半径1メートルくらいに拡がっています。
たいていは身体の周囲をぐるりと覆ったように、卵のような形で存在しています。
つまり、肉体プラス半径1mくらいの広さに自分のエネルギーが存在するのです。

他人が近づくとどうにも居心地が悪くなったりするのは、実は自分のエネルギーフィールドに
他人が実際に入り込むことにあるのです。


というわけで、たいていの人はこれを経験していると思います。
敏感な人なら、電車に乗ったり、たくさんの人がいる場所に
行くだけで気分が悪くなる人がいますが、これは、その人が敏感に他人のエネルギーに反応し、
影響を受けている証拠なのです。



また、人の感情を色で表現しますが、真っ赤な顔(怒り)、真っ青な顔(怖れ)、
ばら色(歓び)、などなど・・、実際にそうした感情の時のオーラはそんな色をしているものです。


人は無意識にオーラを感じていますし、その存在も実は知っています。
ただ、そのように認識していないだけなのです。
私たちの認識は大変狭く、僅かなことしか認識できていません。

学校で習ったこと。
テレビや新聞、本などで知ったこと・・・・、
それらは、過去のデータでしかなく、それ以上の事実を知ることはできませんから、
一般に知られていないことは、一部の人間が知識として知っていたり、
または、ただの世迷言、として扱われていたりするだけです。


しかし、実際に自分の生活の中にオーラがどのように働くのか、
エネルギーの使い方を覚えることが
自分や家族の生き方にどれほど大きな影響を与えるかを知れば、
そもそも人のエネルギーに勝手に干渉するなどと言うことは、
決してできないでしょう。


少なくとも、私はそんな事はできません。
それが実際に何を引き起こすかを知っているからです。


はっきりとここで申し上げておきたいのは、「ヒーリング」というものの
本質を誤解してはいけないということです。
ヒーリングは、決して天から授かった魔法の杖ではありません。

それは使いようによっては、薬にも毒にもなるのです。
また、エネルギーの使い方を誤れば、それを元に戻すことはとても難しいのです。


相手の魂があなたに、了解を出している時を除き、勝手に干渉すべきではないのです。
また、それが分からないレベルの方は、それを行ってはいけません。
必ず、あなた自身にその結果が返ってきます。
どうぞ『相手のために良かれ』と思うときほど、気をつけてください。

それは、決してエネルギーのことだけでなく、
子供のために良かれ、夫のためによかれ、妻のためによかれ・・・、そういうことも、
相手のためのつもりで、本当は自分のためにやっていることが多々あります。


『人のため』と言っている間は、本当は私たち自身の自己満足のために
やっていることに気づきましょう。


人のためではなく、心の底からの自分の満足のために、
生きていくことを選択しましょう。



人を変える事は決してできません。
変える事ができるのは、いつもいつでも自分だけなのです。


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『楽しい』の本当の意味

yoko162007-02-01

楽しく笑って過ごすことが、5次元へのスムーズな移行に
なると書きました。


さて、でもこの「楽しい」って何でしょうか?
一口に楽しいと言っても、人それぞれ、
様々な取り方があるのではないでしょうか?


ここで言う「楽しい」は、快楽や享楽的なことを
指しているのではありません。
心の底からの満足感を指しているのです。

『楽しければいい』というものとは、かなり意味合いが違うのです。


楽しければいい、という言葉を口にする時、
人は何かを投げている気がします。


投げている何か・・・、は、実は本当にその人が大切に
したいものなのではないかしら・・・。


お祭りは確かに楽しいと思います。
お祭りを心から楽しむ余地、これも必要です。
生活には、潤いが必要ですから。


ただ、お祭りはお祭りです。
お祭りが済むと、なんだかもの淋しいような気持ちになる事が
ありませんか?
スピリチュアルな世界でも、
今は色々なところを巡って歩く、スピリチュアルジプシーに
なっている人がたくさんいるそうです。

自己探求はお祭りではありません。

何か新しい『すごいこと』や『面白そうなこと』を
求め続けても実際に得られるものは、
あなたの中の好奇心を満たすだけにすぎません。


ましてや、外の誰かがあなたに本当のあなたを
寄越してくれることなどありません。
「あなたのやりたいこと」は、たとえどんな有名な占い師だろうと
透視者だろうと、見つけることはできません。


誰に色々言われても、本当に重要なのは、
「あなたが」あなた自身の本当にやりたいことを見つけること。


流されているだけでは、本当は見えてきません。
また、誰かに答えを求め続ける間は、決して本当に望む答は得られません。


どこに行ってもいい。何を言われてもいい。
何をしていてもいい。
でも、自分が何をしようとしているかについて、本気で意識的になってください。


自分がやりたいことは何かを人に聞いている間は、何一つ自分の物にはなりません。
『あなた』があなた自身の意志で、何かを決定する事に慣れていかなければ、
本当にあなたが望むことを得る事は叶いません。


現代人の私たちは、マニュアルで生きることに慣れきっています。
これは、ある意味現代教育の賜物であるのかも知れませんが、
その中でだけ生きていくことは、私たちに決して本当の幸福をもたらしてはくれません。


私たちが本心から歓びを感じるのは、自分の魂と心を満足させた時だけなのです。
昔から言われるように、お金がなくては幸せになれません。
しかし人は、お金だけでも幸せにはなれません。


私たちは、ただ生きるために生まれてきたのではないのです。
ただ毎日を生きるためだけに費やしている間、私たちの振動数は
高くはなりません。


意識をあげて生きること、それは自分と人への思いやりと愛の世界で生きることです。
それが、ただご飯を食べて生きていくよりも、ずっと何十倍もの喜びを私たちの
心と魂にもたらすでしょう。


その楽しさは、快楽とは比べ物にならない程のものなのです。
意識を上げていくことで何倍もあなたの生活は、楽になって行きます。


人は状況が今の自分の生活を作っていると思っています。
だから、お金持ちは、そうでない自分たちよりも幸せだろうと思ってしまうのですが、
本当はお金があるかないかが問題ではないのです。


私たち自身が今の自分の置かれている状況をどのように考え、どのように対処しているかで、
私たち自身の生活のすべてが一変するのです。


そのことに常に意識的になっていてください。


今、地球は、恐ろしい速さで変化しています。
私たちの意識も、その速さに合わせて変わっていかなければなりません。
そうでなければ、あっという間に乗り遅れてしまいます。


けれど、無用な心配はしないで下さい。
エネルギーの世界では、私たちの意識が変われば、その瞬間、
すべてが変わります。

皆さんも実感はしていないかも知れませんが、
実際に、この世界でもその変化は以前よりもずっと早くなって来ていて、
意識するとごとに、自分の現実がめまぐるしく変化しているはずです。


その意味でも、自分の意識をしっかりと保っていなければいけません。
いつも、いつでも、意識的であることが必要です。


「楽しければいい」と言うその場限りの意識と
「今を生きる」という意識は、聞こえは同じようでも、
実際のエネルギーレベルに測定すれば、天と地ほども差があります。
本当の楽しいは、心の底からの満足につながっています。


もし、今あなたがやっていることが、一見楽しいと感じていても、
それが終ったとたんにむなしさを感じるようなら、
それはあなたにとって、本物ではありません。


安っぽいニセモノの満足ではなく、本心からの充実感を求めてください。
それは、すぐに手に入るものではないかも知れません。

何らかの努力を要するものかも知れません。
けれど、本物の喜びは、努力しても手に入れる価値のあるものです。
また、本当にあなたが意識的になれば、それだけ早くあなたの本当の望みは
苦労なく手に入るようになるのです。


私たちは、自分の人生の魔法使いになりましょう。
自分の人生に自分の意識の魔法の杖を振りましょう。


魔法の杖は、どんな人でも持っています。
あなたが、この世界に生きる限り、その杖を使い続ける事ができます。
その杖の名は『意識』。


自分が望むように、自分をコントロールすることを覚えましょう。
無意識の感情や怖れに支配される前に、自分の意識を使えるようになりましょう。


そのためには、まず自分の振動数を上げることを意識してください。
それがあなた自身の魔法の杖を使えるようにする、第一歩です。
振動数を上げるには、このブログの
「「振動数の上昇』ブログ版体験ワークショップ」
http://d.hatena.ne.jp/yoko16/20061201を参考にしてみてください。


さて、それではまた・・・。

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心波立つ時

yoko162007-01-26

今年は、様々なことが表面に出てくる年、と
書きました。

隠されていた事がどんどん暴かれていくのです。
これは、真っ直ぐに生きるための準備でもあります。


自分の真実に触れる時、人は苦しい思いする事もあります。


おとぎ話に出てくる「自分の真実の姿を鏡で見る」ということが、
大きな試練であるというのは本当のことです。


自分の本心で生きていない場合、自分の真の姿というのは、なかなかに
ハードなものがあります。
本当の心で生きているならば、それは恐るるに足りません。


どんな姿が『真実の鏡』に映ったとしても、それを直視する勇気が必要です。
それを避けても、どこまでも追ってきます。
今逃れる事ができたとしても、それは永久にあなたにつきまといます。
なぜなら、それはあなた自身だから。


ならば、私たちは、ここで自分の真の姿に直面していましょう。
気づくなら、早い方が良い。
何しろ放って置けば、それはどんどん肥大化して、
どんなものになっていくかわからないのですから、
自分が理解できるものである間に自分自身の真実を見極めましょう。


そして、どんなものが見えても、その奥の奥の魂の部分には、また違う、
真実のあなたの姿があります。


それは、この世のどんな存在よりも美しい、光そのものの姿です。


私たちは外見は、皆それぞれ違った個性を持って生まれてきています。
その個性が私たちの生まれてきた意味でもあります。

しかし同時に私たちは、別の部分で一つの源からやってきた一つの
同じ存在です。
私たち一人一人は一本の木の枝葉のようなものです。
葉っぱは一枚一枚、個性を持っていて、同じものは一つとしてありません。
けれど、その根っこは一つにつながっている。
私たち人もまた、それと同じ。


元を正せば、一つのものから生まれいます。
心波立つとき、そのことを想い出してください。


あなたの心に生まれる不安や疑心暗鬼や怖れや怒りを感じる時、
それは見知らぬ何かに対して感じるものなのです。

けれど、私たちは、本当は同じもの。
本当は全く知らぬものなど存在しないのです。

頭で考えるだけでは 物事は本当に分かったことにはなりません。
私たちは、常に目に見えないものの存在と共に生きているのであり、
目に見えないからと言って、酸素の存在を無視できないように私たちはまた、
見えない存在、見えない世界のありようを無視しては生きていけないのです。


本来、私たちが共にここにあるのは、この世界に楽園を築くためでした。
これが、肉体を持った本当の理由でした。
肉体を持ちながら、天国の世界を形づくること。


これが私たちの本当に望んだことであり、本当の目的でした。
美しい地球。

この輝かしい地球が、自ら望んでこの神の実験に手を貸してくれた時、
この世界は、もっと美しくなるはずでした。

その時点では、この世界がこんなにも過酷な環境になるとは
予想だにしていませんでした。



しかしまた、これも私たちが作り出した現実。
私たちは、これから軌道を修正しなければなりません。
私がこのような見方で物を書いているからと言って、怖れたり、
不安に思ったりしないで下さい。


どのようなものの見方をしようと、実際にこの世界が危機に瀕している事は、
明白な事実なのですから。
このまま放っておいても、永久に今のままの生活が続けていられると
もし、いまだに信じているとしたら、
それはあまりに楽天的過ぎるというものでしょう。


現実問題、地球のエネルギー資源はつきかけているし、
環境破壊は言うまでもなくひどいことになっているし、
食料問題や人口の増加、天災の爆発的増加・・・。
これだけをとっても大問題であるのに、人の意識が低いままならば、
下手をすると第3次世界大戦が始まりかねない始末です。


今、世界大戦なんてものが起きたら、どれだけの人や動物や環境が
破壊されることでしょう。
多分、その時点で地球に未来はないでしょう。


人は、意識を高める必要があります。
私たちが無関心でい続ける事は、目を瞑り続けること。
意識が高くなれば、社会は変化します。


例えば、喫煙の場所がどんどん限定されてきたこともその一つでしょう。
事故を未然に防ぐために、「車に乗る時は、禁酒する」法的措置が取られるように
なってきました。

この当たり前のことは昔から叫ばれてきたにもかかわらず、
お酒を飲んで車に乗る人は後を絶ちませんでした。
けれど今、人の意識は変わりつつあります。


これは、私たち自身ができる事です。


社会がおかしいと思うなら、自分の生活から変えましょう。
私たちの消費活動は大いに社会に影響を与えます。
今では、私たち一般市民こそが力を持っているのだと知っていましょう。


物を選ぶとき、値段で選ぶのではなく、どのように商品になり、
その会社がどのような活動をしているのかにも目を向けましょう。
そして、自分が納得できる運営する会社の商品を買いましょう。



私たち市民は何もできない、何の力も持たないのではありません。
私たち一人一人の活動が、社会の規範を決めている事を
もっと自覚する必要があります。


私たちは、何でもできるのです。
一人の力をバカにしてはいけません。
自分の力を過小評価しないで下さい。


あなたが何を選ぶかは、大げさに聞こえるかも知れませんが、
この地球の未来がかかっているのです。

私たちの認識次第で、いくらでもこの先の地球は変わります。
便利だけれど、環境を破壊し続ける活動に賛同していれば、
私たちの子供たちに未来はありません。


食品も商品も私たちが自らの力を使うことのできる、
大きな場面だということに気づいていてください。
フェアトレードで、人々の生活に貢献するのもいいでしょうし、
有機栽培の商品を買って、農薬の使用を減らして、健康を目指すのも良し。



私は、環境に配慮する事は、私たち自身の身体に配慮することだと思っています。
環境に良いものは、当然身体にもよいのです。
だから、環境のためではなく、あなたの家族のためにも、
身体と心に美味しい物を選んでください。

大多数の人々がそれを選び始めるなら、農業のあり方も変わりますし、
環境への配慮が当然の生き方を実践すれば、当然それに従って、
企業の意識は変わらざるを得ません。


何しろ、売れるものしか作る意味はないのですから。(^^)
企業が変われば、政府はその利益を優先しますから、
当然、政府も変わります。


つまり、私たちの消費活動こそが、その鍵を握っているのです。
主婦である私たちは、自分の家の経済だけに目を向けるのではなく、
もう少しグローバルに目を向けて見てください。
それこそが、この地球を救うのです。(^^)
それは結果的には、私たちのお財布も救う事になります。


目先のことだけでなく、子供たちの未来のために、
動きましょう。


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5次元への移行のために

yoko162007-01-17

タイトルがハードだなぁ、と思いつつ。

今日のタイトルは、これらしいです。
多分、メッセージがあるんですね。


「5次元への移行をすんなりと済ませるために、
行うべき事があります。

あなたの心のお掃除をすること。
あなたの心に溜まった、塵やごみがそこにあるままでは、5次元への
移行はむずかしいのです。

なぜなら、5次元はここ(3次元のこと)よりもずっと軽く、純度の高い世界なので
重いものを持ち込むことは難しいからです。


そこで最初に手をつけることをお話します。


まず、自分の部屋を見渡してください。
あなたの部屋は、美しいでしょうか?


いらないものの山に占拠されてはいませんか?
あなたにとっていらないものはすなわち、
あなたの心にとって要らないもの、なのです。


あなたの部屋を占拠する様々な不要なものは、
この2007年の間に処分してしまいましょう。

新しい世界で生きるために、不要な荷物を
持って行く事はできません。
できるだけ、あなた自身を軽くしておいてください。


また、物を捨てる時に出る抵抗に負けないで下さい。
これはまだ使えるかもとか、いつか着られるかも、という服は
すでにあなたに合っていませんし、自分のエネルギーと合わない物を処分
すれば、それだけあなたの運気も上がります。


不要なものの処分と片付けが済んだら、
それだけでも相当気持ちが楽になるはずです。
自分の家を綺麗にしましょう。

あなたの家は、あなたという存在そのものの変化に過ぎないことを
肝に銘じていてください。

あなたが使用し続けているものには、あなたのオーラが染み込んでいて、
あなたの色と音を発しています。
つまり、もう一つのあなたの部分でもあるのです。


物を大切にする、要らないものを捨てる、というのは、
ですからどちらも重要な意味をもつ行為なのです。


物を大切にすることは、あなたの一部を大切にすることでもありますし、
不要な物を溜め込むことは、不要な心の荷物を持ち続けることでもあります。
まず、自分の周りを見回して、不要なものに囲まれていないか、
必要なのに、ぞんざいな扱いを受けているものがないかどうか、
チェックしてみてください。



さてお掃除が済んだら、次にやることは、
不要なものを捨てた自分と対峙することです。



自分と対峙することは、この年、必ずやっておかなければ、
ならない命題でもあります。

注意しておきたいのは、ここで自分に対するごまかしやすり替えは
決してやらないこと。
そして、表面の自分だけを見ていてはならないこと。
奥底にある自分の存在ときちんと向き合って、自分が本当はどうありたいのかを
自分に確認すること。


これは慣れていない人にとっては、とても訓練のいることかもしれません。
けれど、これをきちんとやっていないと後で大変な思いをする事になります。
今年は隠されていたものが、表に引き出される年。

ある人たちにとっては大変な厳しい年であり、ある人たちにとっては、
とても生きやすくなる年となるでしょう。」


自分が生きやすい年にするために、今日のメッセージは来ています。
ぜひ、実行してみてください。
そして、あなたの心の奥に何があるのか、自分で確かめてください。

くれぐれも表面の出来事や表面の自分に振り回されないで下さい。
真実は、いつも表面の出来事の下に隠れています。
だから見えにくいけれど、あなたの奥にある魂の目を使って、
その出来事の本質が何かを見つけてください。


はっきりと向き合えば、物事があなたが思うよりもずっとシンプルで
分かりやすいことに気づくでしょう。


それからもう一つだけ。

自分の問題ではないはずのことに頭を悩ますのは、即、やめる事をお勧めします。
どんなに重そうな問題に見えても、あなた自身が解決しなければならない事をのぞき、
ほとんどあなたのものではありません。


また、誰かが何かを言った後に「あの人はきっとこう思っているにちがいない」などと
色々考えるのも、NGです。
それは妄想であって、真実ではありませんし、そのことに気づかない限り、
自分が作り上げた妄想が、さも現実であるかのように人は行動してしまうからです。


そんな時、たいていろくなことにはなりません。
真実はあなたが勝手に誤解したことでも、
あなたが妄想したことでもありません。




そのことに気づいて手放せば、あなたが自分の問題と思っている事の
大半は、自分のものではなかったことに気づくと思います。

さて、今日はここまで。

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真心で生きよう

yoko162007-01-16

自分を生かしてあげましょう。

自分を生かしてあげないと何のために、
私たちは神の一部としてここに生まれてきた
のか、わからないですからね。(^^)

そう、私たちは「神の一部」なんですよ。
その神様を粗末に扱ってはいけないんです。


よく現代社会では「神は死んだ」なんてセリフを聞きますが、
神は死んだりしません。何しろ、私たちのような肉体はないんですから。(笑)


自分を大切にすること。これってすっごく重要。
それなのに、自分を大切に、なんていうと、間違ったことみたいに囁かれる。
これだから、自殺なんてできる人がいると思うんですよ。
おかしくないですか?

自分を大切にする事が本当は当然と思えていたら、自殺なんてできないんです。
子供たちが自殺してしまう本当の理由って、いじめられたから、
っていう理由じゃない、と思います。


それはある種、表面の出来事なんだと思います。
私自身も子供の頃はいじめられっ子で、何度も死のうと思ったことが
あるから、逆にそう思うのです。

本当の理由は、その子が「自分が大切」って、思えない環境が作られている
ことに問題があるんです。
もし、その子供たちが本当に自分を大切に思ってくれてる人がいるって
実感していたら(実感、これが大切。)
自殺なんかできないんです。


その人たちのために死んだりできないんです。
自分が死んだらみんなが悲しむって、思えたら。
子供って、周りの期待に一生懸命答えようとするものだから。


子供が自分を本当に大切に思ってくれる人が一人でもいてくれると
本気で信じられたら、子供は自殺なんかしません。
自分の居場所があると分かっているなら、死ぬ必要なんてないから。


親はね、子供を愛しているなんて当たり前、と思っています。
でもね、子供にはその実感が必要なんです。


子供は親に叱られてばかりいると、自分は親から愛されていない、
と思い込んでしまう。
親にすれば、愛しているから、がみがみ言っているのだけれど、
子供には、その真意が伝わっていない。
そんなこと、良くあることです。


本当に伝えたいことは、ストレートに伝えないと
相手には間違って伝わってしまうってことを
私たちは知っている必要があるんです。


思い込みで、相手はわかってくれている、とか思っていたら、
そこには、溝ができます。
だって相手は、あなたの真意を知らないから、
愛情から出た行動が、相手にすれば、恨みすら抱かせることに
なっているかもしれないんです。


親と子、兄弟姉妹、夫と妻、友人同士。
本当に伝えたいことは、きちんと相手に分かる言葉で話さないと
相手には伝わりません。


親がいくら子供のため、と思っていても、
それが相手に伝わっていないことが
たくさんあるんです。


相手がどんなに小さな子供でも、本当のことは分かります。
ちゃんと話してあげることが相手の安心感とお互いの信頼を
生むことにつながります。


あなたのこと、本当に大切って、メッセージをどんどん積極的に
送ってあげてください。
その部分はしっかり、伝えなきゃダメなんです。
思ってるだけじゃ伝わらない。


だから、どんどん伝えてください。
あなたを愛してる。あなたが大切って。
あなたが宝物だって。
子供にだけじゃなくて、友人にも、夫にも、妻にも、
結婚していない人は、恋人にも、親にも。



怒ったって、泣いたって、ちゃんとコミニュケーションを
取っていたら、本当の信頼関係は成り立つんです。

みんな伝えたつもり、相手もわかってるはず、
なんて状態のまま放って置いてしまう
ことが一番問題の原因になっているんです。


自分の思っている事をスマートに伝えるのはすっごく難しい。
でも、本気の気持ちは、相手に伝わります。

あなたの本当の心を伝えてください。



2007年は、去年よりももっと、正直に生きることを求められます。
ニュースでも早速、様々な問題が暴かれていますね。
あれは今、はっきりと、隠されていたものが表に
出てきている証拠なのです。


真心で生きていきましょう。

真心を持って、笑って生きることを選ぶなら、
この世界がどんどん美しくなってくることを感じるでしょう。

一人が幸せを選ぶと、たくさんの人に
目に見えない光が降りてきてサポートを始めます。

それは、あなたができる世界への大きなプレゼントなのです。
自分を幸せにしてください。
そして、家族と共に幸せになりましょう。


あなたの小さな家庭が幸せならば、それは必ず、
見えない形で、世界に影響を与えています。
世界にハッピーを送り出してください。


そのためには、まず自分から変わる事を選択してください。
いつも「今ここ」から変わることが、
一番大切なのです。


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ハーモニーを奏でよう

yoko162007-01-12

この前、友人からこんな電話をもらいました。

彼女は自分にとって、困った人たちを指してこういっていました。
「ねぇ、YOKOちゃん、こんな人達でも一緒に引き上げ(アセンションすること)
てあげないといけないの?」と。


私は、誰かが誰かを救えるなんて幻想だと思っています。
もちろん、手助けすることはできると思います。


自分が周りを引き上げるのではなくて、自分が変わる事によって、
影響を与える、が、正解だと思っています。
だから私の答えは、「そんな事しなくていいよ。」です。

だって、自分が幸せになるために物事を行うのであって、
無理矢理好きでもないことをしろ、というわけではないのです。
それに「誰かを引き上げてあげる」なんて考えている時は、
そんなこと、できるはずもありません。

自分が幸せになって、それで初めて人を幸せにできる、と思うのです。

自分を犠牲にした他人の幸せなんて、間違ってる!とも思ってます。
私は、自分も人も幸せになる、これが私の中心にあるもの。
どちらかしか幸せになれないような、狭くて小さい愛なんて
ちっほけだと思います。

だって、みんなその人の世界では、一番大切な人なんです。
自分が。
だから、まず自分を幸せにする、そして、人も幸せにする。
そうでなければ、それは本物じゃないって思っています。


でも、その幸せって、千差万別。
そして、自分の幸せが別の人の幸せとは限らない。
だったら、人が一番にできる事は自分を幸せにすることじゃないかしら。

人ってね、本当は他人を幸せにしてあげることなんて、できないと思うんですよ。
だって、その人の世界はその人のもので、その人が幸せを感じるかどうかは、
その人にしか決められないんですから。


だから、一番手っ取り早いのは、自分を幸せにしてあげること。
もちろん、人から搾取した幸せじゃなくてね。
自分を幸せにできたら、それを見た人たちが、
「ああ、自分も幸せになっていいんだ」って
思えるんですよ。
そして、その人が自分をまた幸せにできたら、その幸せの輪は広がっていく。


もちろん、逆の輪も存在するんです。
だからこそ、人は意識的にならなくちゃいけない。

人のためっていう名目で自分を犠牲にする人生を送っていたら、
それを見た人もまた、
それが大切って思っちゃう。
そうしたら、自分を犠牲にする人生を送る人が増えてしまう。
日本人って、基本的に自分を犠牲にする事が美しいって考え方が蔓延しているように
思います。

でもね、自分だって、他人から見たら他人な訳ですよ。
わかります?

人のために生きて、自分を失くしてたら、一体、誰が自分を幸せにするんです?


もしこの地球に10人しか人がいなくて、そのうち3人が自分を犠牲にして人のために
生きると宣言してそのように生きますよね。

そしたら、その子供たちはそれが当たり前で大切なんだと理解して、
そのように生きる。
その3人に一人ずつ子供がいるとして、ここでもう6人が自分を犠牲にする人になって
るわけ。
10人のうち6人がそんな考え方だったら、数の論理で、気がついたら、みんなが自分
を犠牲にする
生き方をしてしまうようになる・・・。だって、それがほとんどの人の意識だから。
これもある意味「100匹目の猿」現象。


さて、こうなってしまったら一体誰が幸せなんでしょうか?
みんなが人を幸せにしているつもりで、みんなが不幸せ・・・、
なんて世界、楽しい?って、思います。

「意識」を変えなければ、こんなことになってしまうんです。
でも、自分がまず幸せになる、と意識さえ向ければ、人は変わることができるんで
す。

ほら、何しろ私たちは、「神様の一部」なんですから、自分の世界では自分は何だっ
てできるです。

あっ、でも、あくまでも自分の世界ってとこがポイントです。
人には人の世界が存在しますから、「何だってできる」は、あくまでも自分自身のこ
と。
人の世界に勝手に侵入して、どんなに良かれと思っても勝手に変化させてはいけま
せん。
「人のエネルギーに干渉して勝手に変えてしまう」のは、
エネルギーの世界ではもっとも、重い罪ですからね。
良かれ、と信じていることほど慎重に。
人はよかれと思うと、相手の意志を無視しがちですから。


どう意識して生きていくか。
これが一番大切で、一番楽しい事なんです。
自分が変えようと思えば、自分の世界ははっきりと変わります。

でも「変えたい」とただ思ってるだけなら、決して変わりません。
行動しなければ。

意識を行動という形に移す。
それは、思ったことを現実にするための、雛形を作っているのと同じなんです。
例えば、今よりももっと華やかな人になりたいと思ったら、まず新しいセーターを買
いましょう。
(もちろん、これは例えですよ。)
自分が華やかに見える素敵なセーターを買い、
美容院に行きましょう。

行動しなければ、ただ思っているだけでお終いです。
でも、そんなことできないわ、と思っているなら、
その気持ちは本物ではないので
す。

本気さえあれば、不思議なことに、たまたま友達のお姉さんが美容室をしていて、
モデルを探しているから、あなたやってくれない?
と頼まれたり、前からこんなの欲しいなぁ、と思っていた服が半額で
買えたり、たまたま立ち寄った店で、偶然大好きなものを見つけてしまったり。

どんどん自分にとってハッピーなことが引き寄せられてきます。


そういう私もつい最近、こんなことがありました。
壊れてしまったデジカメの代わりに新しいデジカメが欲しいと思っていました。
12月23日の厳島神社でのハーモニーの前にどうしても欲しいなぁ、と。

希望は、前回のデジカメが、少し重くて持ち歩きにくかったので、
今回は出来るだけ軽くて、そこそこの画素数のあるもの、電池ができるだけ長持する
もの、また動画も美しく取れればなおいいなぁ、これで19,800円くらいでないかなぁ、と。


そこで、ネットで色々探してみたら、わたしが希望するデジカメがありました!
ただ、値段はさすがに希望通りと言うわけには行かず(当たり前?)、希望よりも
だいぶ高かったのですが、なぜか私は、「これをその値段で買う」と決めて、
少しずつ値段が下がってくるのを待っていました。


最初は順調に下がっていた値段が、一週間前くらいになったら、今度は上がってきて
しまいました。
あらら・・。
でもどうしてもこのデジカメが欲しいと思っていたので、仕方ないから、高くてもそ
ろそろ買おうかなぁ・・・、
もう注文しないと、23日までに間に合わないなぁ、と思っていました。
すると。

ちょうど一週間前の朝。9時に広告を見ると、まさに私が欲しいと思っていたデジカ
メが希望していた19,800円、限定5台で売りに出ているではありませんか。
おまけに、そのお店は我が家の目の前。

ところが、当日は9時オープンになっていて、大慌てで買いに走りました。(笑)
というわけで私は、本当に思ったとおりのデジカメを手に入れることができたので
す。

その後、このデジカメには、SDカードが必要だということで、512MBくらいの物を買
おうと思ったら、これまた半額。
でもせっかく動画が取れるデジカメを買ったのだから、
もうちょっと大きいのを買おうと、
店員さんに「1GBのは安くなってないんですよね?」と、あえて聞いてみました。

すると、「えっ、そんなことないと思いますよ。」と言って、奥へ引っ込んで戻って
くると、「こちらも半額です。」との答え。
というわけでもちろん、1GBのSDカードを半額で手に入れることができました。


そうそう、その前にもこんなことがありました。
厳島神社へ出かけると決まってから、もう最初から絶対、温泉つきの旅館に
宿泊する、と決めていたのですが、当初は行かないと言い張っていた娘が突然、
ついて来ると言い出したのです。
そうすると、九州へも寄らないといけないし、思ったより、費用がかさんでしまう
なぁ、なんて。

で、ふと一人8,400円くらいで一泊二食付なんていう宿泊場所が
ないかしらん・・・。
と、またまた虫のいい思い付きで探し始めました。(笑)

でも、それでもまだ綺麗で温泉があって、ご飯が美味しいところがいいなぁ、
なんて思ってたんです。(笑)

それでふっと、思い立って探し始めたら、あったんですね、これが。

そのホテルは最初、料金が高いからとはじめは除外していた高級ホテルでした。
ところが、何の気なしにあるサイトを見てみたら、あったんですよ。
このホテルに格安料金のツインのプランが。

それも希望の一泊2食付8,400円で!(笑)

しかもそのホテルは、厳島神社から200Mの好立地。
桟橋から電話すれば、迎えのバスも出る。
おまけにその内訳たるや、夕食4,200円、朝食2100円、宿泊料が2100円というんだか
ら、驚きです。

私の希望の温泉露天風呂もあり、これはもう予約するしかないでしょ、
というわけで、空き状況を確認するとラッキーなことにちゃんと、
予約することができたのでした。

あまりにも希望通りだっので、ちょっと笑ってしまいました。


でもね、こう言うことって、実は頻繁にあるんです。
明日カレーを作りたいんだけど、ジャガイモがないなぁ、買いに行かないと
いけないなあ、でも面倒くさいなぁ、誰か持ってきてくれないかなぁ、なんてことを
考えていると
翌朝、宅急便が。
届いた荷物をあけて見ると、そこにはジャガイモが入っていたり。


自分が幸せな輪(エネルギー)の中に入っていると、本当に面白いくらいぴったりに
物事が運ばれていくのです。

これもまた、ハーモニーだと私は思っています。
ちゃんと、希望すればいいんだ、それを心のどこかで
否定さえしなければ、必ず何とかなる、と実感しています。


ハッピーなことを引き寄せるために、最近私が子供と一緒に実践していることを
一つ紹介しますね。

寝るときに、毎日その日にあった一番楽しかったこと、面白かったエピソードを
お互いに話すんです。
これが面白かった、あれが楽しかったってね。
楽しいことだけを想い出して寝る。
そうすると、心がうきうきしたり優しい気持ちになってゆっくり眠ることができるん
です。
そして、寝ている間に、そのエネルギーが自分を包み込むので、
目が覚めるとすっきり。

するとまた、新しい楽しいことを探そう、と意欲が出てきます。
今は娘は、学校であった面白かったことを毎日見つけて来ては報告してくれます。
それを繰り返すうちに、彼女にとって学校はエキサイティングな場所になって来たよ
うです。
そして、それを聞いている私も、なんだか楽しくて仕方がない、が
移ったように、毎日が楽しくなって来ました。


それを毎日、嬉しそうに夫に話すので、夫もなんだか楽しそうにしています。
幸せの輪ってひろがるんだよね、と思う今日この頃。

幸せの輪、広げませんか?


何でもいいから、面白いことを見つけようとしてみる。
その心があなたの生活を潤してくれるし、楽しい日常に
変えてくれるのです。

ぜひ、実践してみてください。
振動数上げることにつながりますよ。



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クリスマスプレゼント

yoko162006-12-15

今日の言葉というシリーズを、以前やっていたことを
ふっと思い出しました。
そのつきのテーマに沿って、やってくる多次元からの
メッセージを受け取って、短い言葉で書いていました。


うん・・。今日もやってみようかな。



今日のメッセージ

「穏やかであること、自分に優しくあることは、
一番大切なあなた自身への贈り物です。」



なんか、クリスマスプレゼントのようなメッセージですね。(*^−^*)
今日は私も、この言葉を意識してみよう。
自分に優しくするというのは、怒ったりイライラしたりして自分の心を
その気持ちに明け渡さない事も含まれている気がします。


こんなことを書いているからって私が怒ったりしないなんて事は
無いんですよ。
昨日も子供とけんかして、イライラしてました。


でもそうすると何が辛いって、結局、怒っている自分が辛いんです。
怒りはすごくたくさんのエネルギーを使うし、全部自分に返ってくるんですから。(苦笑)


怒りたくないから、怒らなくてもいいルールを自分に作っていく。
子供と二人で、どうやったらルンルンしていられるか、考える。
向き合うって大切、と思います。


向き合う、というと、人と向き合う、というイメージですが、
この場合は、自分と向き合う意味です。



自分が何に対して、怒ったり腹を立てたりしているのかに
気づけば、意外と冷静になるものです。
でも、時間が無かったり、自分にゆとりが無かったりすると怒ってばかりに
なってしまって、子供も泣いてばかりで、らちがあきません。


でも、そこでふっと立ち止まって、自分が何を考えているのかをしっかりと見ると
自分の感情をぶつけるのではなくて、会話することができる。
自分の気持ちを整理したり、子供の気持ちをしっかりと聞くことは、いつもとても大切、
と思います。


でも、とにかく我が家では誰かと喧嘩したら、必ず、仲直りにハグするんです。
むぎゅっとくっつくことによって、エネルギー交換が勝手にできて、気持ちがほぐれていくんです。


怒ってばかりは、しんどい。
これは本当です。


子供が生まれてから、一番最初に学んだのは、忍耐。
けれど次に学んだのは、諦めるということ。
諦めるというと、聞こえはよくないけれど、子供を自分の思うとおりに動かそうなんて、
無理って事に気づいたのです。

ここで、私は本当の意味で、人との関係を学んだのかも知れません。



自分の過去世を紐解くと、いつも私は、人の上に立つ立場の人間として生きていることが
多く、地位も権力も持っている人間として存在していました。
今生でも、弱い自分が隠れている時には(人間は両面持っていますから)、
人に命令することに慣れている自分がいるようです。

よく妹から「お姉ちゃんは人使いが荒い」と言われました。(苦笑)


ところが、その中で唯一、私がどうしても言うことをきかせることができなかった存在。
これが娘でした。



彼女とのバトルには、自分でも相当、エネルギーを消費しました。(笑)
そして3歳までには、私の方が白旗を揚げたものです。


で、結局もっと柔らかいやり方、優しいやり方で行くほうが、相手を納得させるのは
早い、という結論に至りました。
もちろん、今でも時々、わからない〜〜と思うのですが、相手の立場に立ってから
物を考えていくほうが、こちらの言い分を無理やり通そうとするよりも何倍も
楽に、自分の言うことを相手に理解してもらえることに気づいたのです。


これは私にとって、ものすごく大きな贈り物でした。
子育ては忍耐が必要です。けれどそこには、とても大きなプレゼントがある、と
私は思います。
そして、これは人間関係の縮図だな、とも思っています。


親や子供との関係は自分の心の中にある、本当の問題を映し出します。
ここがクリアできれば、他人との人間関係は、ずっと簡単になるはずです。



さて、今日は自分への贈り物として、
今日のメッセージを受け取ることにします。


それでは・・・。




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