覚醒とは 1

覚醒って、何だと思いますか?


「覚醒する」なんて言葉を使うとまるで、修行僧が頑張って修行した挙句に得られる
『悟り』みたいなイメージがあるような気がします。


あるいは、精神世界での『覚醒する』は、霊的な事がすべてわかるようになったり、
ヒーリングができるようになったり、超能力が使えるようになったりする・・・、
というような、奇妙な誤解が蔓延しているようにも思えます。



しかし覚醒とは、それほど難しいことでもなければ、突然、
すごい超能力が顕現したりするわけではないことを断っておきたいと思います。


私の言う、「覚醒」とは、読んで字のごとく、目覚めること。



私たちは、眠っている間、自分の意識で様々なことを行うことは普通できません。
目が覚めて、目を開けて初めて、自分がどこにいて何をするのかを確認するものです。



つまり、私の言う覚醒とは、まさにこの「目を開ける」というとてもシンプルなことなのです。



目を開けてしっかりと見なければ、そこに何があるのかわかるはずがありません。
私たちは通常、肉体の目で物を見ますが、その目が存在する99%以上のもの物を見て
いないという事実を、ご存知ですか?



私たちが、自分の目で見ていると信じているものは、わずか存在の1%に満たないのです。
人間の目は、自分が意識しているもの以外のもののほとんどを捉えることができません。
人は、ものを見ることで認識していると思っていますが、その実、目がものを見ているのではなく、
視覚で捉えたそれを脳が分析、解析して、初めて私たちは、それと認識するのです。


ですから、自分が理解できないもの、自分が認識可能でないものは、
簡単に脳の一つの機能として、排除されてしまいます。


つまり、人は自分が信じているもの以外のものは、見えないものとして認識する、
というある意味、自動排除機能を備えているのです。


ただ、それはこの3次元社会で生きるためには、大変有効な機能で、
必要なもの以外のものを 排除することで、私たちはいわゆる「ふつう」
の生活を送ることができていたのです。


つまり今の世界、この3次元では、すべてにおいて経済が優先され、
すべてがお金に換算されることでその価値が計られており、お金に換算できないものは
価値のないものとして扱われるように私たちは教育されてきたために、
その排除機能が機能することは、必要であり、これまで非常に有用に働いてきたといえるでしょう。



しかし、すべてにおいて経済優先の社会が、どれほど人の心や肉体、地球環境を蝕んでいるかは、
一つのパイを取り合う、むなしいあり方の今の世界情勢を見れば、一目瞭然というものでしょう。

つづき


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